毎年、台湾旅行へ向かう日本人旅行客はさらに増えています。テレビのコマーシャルでも台湾の観光局が誘致していることは皆さんもご存知のとおりです。それもそのはず、親日な国なのです。




たしかに、過去において日本の植民地支配の時代がありました。しかし、当時台湾で行なった大規模なインフラの整備や行政のルール作りなどの評価もされており、親近感のある国と言えましょう。未来志向やその目線で前向きにますます進歩してゆく事でしょう。

さて、難しい話はさて置き。台湾の有名なお祭りのひとつ民雄大士爺文化祭というものが有ります。


こちらをご紹介していきたいと思います。民雄とは、台湾の南部嘉義県にあってこの地方の地名です。祭りの開催は旧暦に合わせておりだいたい8月ごろです。
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この『大士』とは、六種の天官のなかで「鬼神」の官職にあたり、道教と仏教が混ざり合ったものと言えます。台湾四大中元普渡(ちゅうげんふと)の祭りに数えられ民俗的なものであります。祭りは三日間にもおよび正式名称は 「嘉義縣民雄大士爺文化祭」



台湾嘉義県
(Wikipediaより)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%98%89%E7%BE%A9%E5%B8%82


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【民雄大士爺文化祭】
嘉義県ホームページより
http://www1.cyhg.gov.tw/japanese/tour/HistoricInterest/001dashiye.htm

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(文抜粋)
古跡建設年代及び歴史の沿革 : 清朝嘉慶 1 年 ( 西暦 1797 年 ) に建てられ、1905 年大地震の後に再建し、 1937年に完成しました。

沿革:本郷の民衆は清朝の始め中国大陸福建省・広東省から移民してきました。当初は地域の意識がありますので、往々にして細かいことで戦闘が起こっていました。

乾隆時代は最も激しく、双方死傷する人が多く、事後協議した上、あまねく済度することにより、祭りを開催して亡霊を済度しました。

〜略〜

現在の大士爺寺院は東北を向き、三殿三つの門左右に廊下のある寺院建築です。入口は狭く、奥は広くなっています。やや広めの中央部分は大士爺廟であり、前殿外の軒は石彫刻の壁を作りました。これは毎回再建する時期により作り方が違っています。

山門は鉄筋コンクリートの造りであり、 歇山 のツバメの尻尾に似た屋根、左山門の上には「 開?聖王」 、 右山門 の上には 「開 台 尊 王 」の横額が掲げられています。

中庭で区分けして、左右の廊下と前殿が繋がっているのは第二進正殿であり、メインの奉るスペースです。前の軒柱は六角柱をしており、カラーの龍を描いています。神棚は泥で作った普陀山を背景に、顔立ちの慈悲で優しい大士爺神像を奉っています。

厨子の左右にはそれぞれ 韋?菩薩、伽藍菩薩 の神像を置き、左右山の壁には 十八羅漢 を奉っています。正殿は丸いアーチ門を開け、それぞれ左右の配殿に通じています。左の配殿は ?州人 の守護神である 開?聖王陳元光 、右の配殿は 開臺尊王 鄭 成功 を奉っています。

第三殿は後殿であり、メインホールは 天上聖母 を奉り、中には嘉慶 12 年丁卯寺院建設したとの内容が書かれています。 1962 年壬寅には「慶誠宮」の横額を修築し、卓上には道光 25 年乙巳 (1845 年 ) の石香炉を供えています。左右の間には 城隍爺 と 註生娘娘 を奉っています。

正殿に通じる左右の廊下の壁には、修築した石碑を嵌め込んでいます。廊下左壁には ( 民雄慈済寺建築寄付芳名石碑 ) が嵌め込まれ、これは 1923 年 癸亥 修築した時に立てられたものです。廊下の右壁には 1974 年甲寅・ 1979 年 已未 ・ 1983 年 癸亥 まで各回修築の石碑が立てられています。
(抜粋了)


【民雄大士爺文化祭】
(大台湾旅行より)
http://jp.tranews.com/Show/Style201/Column/c1_Column.asp?SItemId=0131030&ProgramNo=A000201000009&SubjectNo=5754&CityId=14
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(文転載)
民雄の市街区にある大士爺廟は、嘉義県の3級古跡です、清朝の嘉慶元年(1797年)に建てて、地元の人の重要な信条の一つで、廟内は主に観世音菩薩を祭って、しかし毎年の「鬼の月」の旧暦の七月の時に、いつも廟の方は特に一つの紙で作った「大士爺」の神仏像を廟の内に置いて信者に祭らせます。

台湾人の伝統的な信条の中で、民雄の大士爺廟で祭っている大士爺は、僅かな少数の具体的な形が固定していない神です、またただ中元の節句の時だけ祭祀を行って、そのとき廟はただ紙で伝説の中の大士爺の神仏像を作って、正殿に置いて信者に祭らせます。
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大士爺廟は伝統的な建物で、しかし民国前の5年(1906年)に、七級の大地震が発生したため、廟の建物は全部傾き崩れて壊しました、その後で民国12年(1923年)に信者は信奉している地元の大士爺廟、慶誠宮、開漳聖王廟と開台聖王廟などの四つの主に祭っている神を合わせて一軒の廟の内に祭らせます、廟の内の主要な梁柱と石材の部分も四軒の廟の元のままの建築材料を使いました。

毎年の旧暦の7月21~23日までの三日間に、廟の方は一つの紙で作った「大士爺」の神仏像を用意する以外に、近くの住民も盛大な宗教の活動催して、一方では亡魂を済度して、一方も神様の加護したことを感謝して、地方の平安を祈ります。

廟内の山川殿に一枚の大きい供物台が放置していて、両側の回廊にも側庭に入る狭い扉があって、一軒の三つの出入り口と両側に回廊を持つ建物で、正殿は主に観世音菩薩を祭って、両側の石壁の上に十八羅漢がいて、右側は開台尊王の鄭成功の神仏像で、左側は開彰聖王の神仏像です、後殿は主に三宝仏を祭って、右側の文昌帝君と左側の武財神も一緒に祭ります。
(抜粋了)




今年2014年は8/16〜8/18に開催されました。この大祭は台湾の多くのマスコミで報道され、人気の高さが伺えますね。

民雄市は、嘉義県の最多の人口を擁する街です。上記の資料で大士爺廟の創建は清嘉慶二年(清は清朝時代)、すでに300年以上の歴史があります。

さらに、お祭りするのは観音菩薩。この大士爺祭りは台湾南部最大の中元廟の祭りです。每年旧暦の七月二十一日から二十三日に開催されます。各地から30万人以上の観光客が訪れます。

大士爺廟は嘉義県の県指定の古跡。信仰の中心的な場所と言えよう。そして台湾においても大士爺を祀るお寺としてもっとも重要で主要な場所です。

大士爺の祭典は南台湾の重要的普渡祭典です。他には「基隆中元祭典」「新竹新埔義民爺祭典」「屏東恒春搶孤」「宜蘭頭城搶孤」など台湾の鬼月(鬼の月、日本のお盆にあたる)を飾るお祭りです。

もともとこのお祭りは旧暦の七月に近隣の街が「頂街大士爺普」「下街大士爺普」「下街囝仔普」として行なっていました。頂街普は、旧暦の七月一日から。下街普は旧暦の七月二十一日から二十三日まで。最後は旧暦の七月二十九日に開催したお祭りでした。

その後、台湾政府の保全政策により旧暦の七月二十一日から七月二十三日までと統一され大士爺文化祭と決めました。なお、民雄市は東栄・西安・中楽の三つの村が合併した市であります。

大士爺は別の名を大士爺伯と言います。ほかに大士爺公。中元普渡の際、民衆が尊敬の念を含み「普渡公」と呼びます。歴史的にも文化的にもとても重要な宗教祭りです。




〜台湾の各大手報道関係会社のニュース〜
紙塑大士爺 信眾祈願會點頭【聯合報╱記者林伯驊/民雄報導】http://udn.com/NEWS/DOMESTIC/DOM1/8875679.shtml

◆「民雄大士爺文化祭 替高雄震災祈福」
東森新聞
2014年08月17日 11:27
http://mobile.n.yam.com/m/news.php?id=20140817495033
◇東森新聞「YouTube動画」
http://youtu.be/v02JrGfQ-Lw


民雄大士爺祭 為高雄氣爆祈福
發稿時間:2014/08/16 19:51 最新更新:2014/08/16 19:51
(中央社記者江俊亮嘉義縣16日電) http://www.cna.com.tw/news/aloc/201408160267-1.aspx


民雄大士爺祭 為高雄氣爆祈福
http://www.epochtimes.com/b5/14/8/16/n4226619.htm%E6%B0%91%E9%9B%84%E5%A4%A7%E5%A3%AB%E7%88%BA%E7%A5%AD--%E7%82%BA%E9%AB%98%E9%9B%84%E6%B0%A3%E7%88%86%E7%A5%88%E7%A6%8F.ht


大士爺普度 馬國冥爺壇助陣
2014年08月17日 04:10 中國時報
王瑄琪嘉縣報導
http://www.chinatimes.com/newspapers/20140817000357-260107


「大士爺開光 準備詔令眾鬼回陰間」台灣蘋果日報
http://m.appledaily.com.tw/realtimenews/article/new/20140816/452992/


(YouTube動画)
『民雄2014大士爺文化祭 8/16-8/18登場』張花冠嘉義県政府




ところで、嘉義民雄大士爺祭にはスタッフは「平安服」を着て活動します。
「中」字のTシャツ

これには「中元普渡」の意味があります。そしてさらに「中国はひとつ」の意思表示が込められてます。これは台湾(中華民国)と大陸(中華人民共和国)が統一するよう 【両岸和合一家人】の願いがあります。


2014-08-23-12-55-32 2014年の目玉「熱気球」


このように紹介するのは台湾の中国青蓮党です。

中国青蓮党の前身はなんとあの数百年以上続く中国の秘密結社 【洪門天地会】(ほんめんてんちかい)です。発祥は中国福建省の漳浦、その九蓮山の麓(ふもと)、福建や台湾で発展して参りました。現代、その活動は東南アジア諸国を中心に五大陸に広がっています。

大士爺の火焔舌は皆が競って欲しがるもので、獲得した人の宝物になります。古くからこの舌には「幸せを呼ぶ」効能があるとか。今年はこの火焔舌にあやかり平安服が用意されました。こちらは中国青蓮党所属の創作団体、 『中華文化創意発展協会』が作り、信徒らは競って着て幸せと安全祈願をします。


左の人物が何氏

中国青蓮党党首の何俊元(かしゅんげん)氏は、各局の記者らに対し平安服は非常に意味があるという。
「Tシャツの「中」の字プリントには 「中元普渡」の意味と「中国はひとつ」の意味があります」また「両岸和合一家人」「台湾の信仰には大陸の影響が大きい、大陸の観音様と台湾民雄の観音様大士爺が結合し、民衆を守り、さらに世界中の観音様の信者らが共同しこの祭りに参加して頂き、さらなる発展を期待しています」と応えました。


2003年、何俊元氏は長房青蓮堂の堂主になりました。台湾で唯一の洪門天地会の長房青蓮堂系統の最高職務 「洪棍」(ほんこん)であります。傘下に九つの大山堂があり洪門南華山と洪門五聖山も傘下です。

「洪棍」とはかつて中華民国の建国の父「孫文」氏と同職。つまり秘密結社洪門天地会長房の実質のトップです。2011年3月洪門天地会長房青蓮堂は名称を変え青蓮党になり秘密結社洪門に新たなる歴史が始まりました。

何氏は、中国はひとつの理念のほかに、共存共栄、世界大同、平等世界、世界和平そして経済の発展に貢献していく事に重点をおき、邁進していくと誓いました。


民雄大士爺文化祭は、旧暦の暦で開催されます。なので八月の決められた日に開催される予定日時は毎年変わります。しかしこの大祭を通じ台湾の民衆信仰の歴史が理解できることでしょう。道教や仏教が混在する風習は独特な宗教像を生み出します。八月は日本の夏休みの時期と重なります、ご家族やお仲間たちで台湾旅行に出掛けるときはこのお祭りへ訪れることを是非オススメいたします。



記 小林明峯