「オフレコ取材」と「情報源の秘匿」---日米でこんなに違う「情報源」の中身
2015年01月23日(金)

現代ビジネスより
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41861#

(転載開始)
報道界で「情報源の秘匿」が話題になるとき、情報源とは誰のことなのか。アメリカでは非権力側の内部告発者、日本では権力側の政府高官が想定されることが多い。日米で情報源の立場は正反対になるわけだ。

年明け早々、アメリカでは情報源の秘匿に絡んで重要な展開があった。ニューヨーク・タイムズのジェームズ・ライゼン記者が7年にわたる法廷闘争を終え、情報源の特定を強制されずに済んだのである。


2014-08-14-13-48-38
法廷闘争に勝利し記者会見を開いたジェームズ・ライゼン記者 〔PHOTO〕gettyimages


情報源を秘匿できなければジャーナリストは機能しない

報道界で「情報源の秘匿」が話題になるとき、情報源とは誰のことなのか。アメリカでは非権力側の内部告発者、日本では権力側の政府高官が想定されることが多い。日米で情報源の立場は正反対になるわけだ。

年明け早々、アメリカでは情報源の秘匿に絡んで重要な展開があった。ニューヨーク・タイムズのジェームズ・ライゼン記者が7年にわたる法廷闘争を終え、情報源の特定を強制されずに済んだのである。

ピュリツァー賞を2度受賞した経歴を持つライゼン記者は、2006年の著書『戦争大統領』の中で米中央情報局(CIA)によるイラン核開発妨害工作を暴露。これが原因で司法省から情報源を明かすよう求められていたが、「情報源の秘匿」を理由に証言拒否を続けていた。

ライゼン記者は、秘密漏洩の罪で起訴されている元CIA職員のジェフリー・スターリング被告を情報源にしていたとみられている。昨年には連邦最高裁から「証言拒否を認めない」と通告され、法廷侮辱罪で収監されかねない状況に置かれていた。しかしここにきて司法省が証言を求めない方針を決めたため、収監を免れた。

オバマ政権は、国家安全保障上の秘密をメディアにリークする政府職員に対して厳しい姿勢で臨んできた。

摘発件数で見ると、過去の全政権を合計してもオバマ政権に及ばない。そのため報道の自由を重んじるメディアや市民団体の間で危機感が広がり、ライゼン記者が情報源を秘匿できるかどうかは今後を占うリトマス紙と見なされていた。同記者の弁護士は勝利確定後に「これはジェームズ・ライゼンにとどまらず、すべてのジャーナリストに影響する話」と語っている。

ライゼン記者は「決して身元を明かさない」という約束で情報源に接触したはずだ。日本の報道界で言う「オフレコ取材」をしたのである。司法省の圧力に屈して情報源が誰であるかを明かせば、信義違反になって取材先からの信用を失う。情報源を秘匿できなければ、ジャーナリストは機能しないのである。


オフレコ懇談は「知る権利」に合致する取材方法か?
そもそも情報源は内部告発者だ。ジャーナリストとしてのライゼン記者を信頼し、CIAの暗部を浮き彫りにする秘密を提供したのである。身元を明かされたら、国家機密を漏らしたとして処罰は必至だ。

実際、ライゼン記者の情報源とみられるスターリング被告は2011年に逮捕され、スパイ防止法違反の罪に問われている。CIA職員が秘密を外部に漏らした場合、重罪は避けられない。その意味からも「オフレコ破り」は禁じ手だ。

日本でも情報源の秘匿をめぐる議論が沸き起こる。冒頭で触れたように、情報源の立場はアメリカと正反対であることが多い。記者クラブで行われる「オフレコ懇談(記者懇談)」を舞台にしているからだ。

オフレコとは「オフ・ザ・レコード(何も記録しない)」の略で、本来は取材内容については一切報じてはならない。オフレコ懇談では、大勢の記者がニュースメーカーである権力者を取り囲み、ざっくばらんな話を聞く。オフレコを建前にしているからメモも取らないし、ICレコーダーも使わない。

ただし日本では、「政府高官」などと発言者を匿名にすれば、発言内容は報じても構わないという不文律の慣行がある。実態は匿名の当局者による「バックグラウンドブリーフィング(背景説明)」だ。この点でアメリカは厳格で、オフレコ取材は一切報じてはならない「完全オフレコ」のみで、バックグラウンド取材と明確に区別されている。

実際に情報源の秘匿に絡んで注目されたオフレコ懇談を振り返ってみよう。たとえば2011年11月に那覇市内の居酒屋で行われたオフレコ懇談。アメリカ軍普天間飛行場移設問題が話題になり、当時の田中聡沖縄防衛局長が「これから犯す前に犯しますよと言いますか」と発言。これを不適切と見なした一部新聞社が発言内容を実名で報道し、「オフレコ破り」と批判された。

2009年3月には、首相官邸内で開かれたオフレコ懇談を舞台にして「オフレコ破り」が起きた。西松建設の違法献金事件で自民党へ捜査が及ぶかどうか関心が高まるなか、当時の漆間(うるま)巌官房副長官が「(捜査当局は自民党側を)立件できない」と発言。当初は「政府高官」として発言が報じられ、途中から実名報道へ切り替わった。

オフレコ懇談で「オフレコ破り」が起きるたびに出てくる議論が国民の「知る権利」だ。「立件できない」という漆間発言を受け、産経新聞の常務取締役編集担当だった斎藤勉氏は「取材源、安易に暴露していいのか」と題した論説を書き、「オフレコ破り」を批判しつつオフレコ懇談の意義を強調している。

〈 現場の政治記者にとっては国民の「知る権利」に応えるべく、建前論に流れがちな記者会見から一歩も二歩も踏み込み、政局の真相の一端に迫るため長年かけて編み出した取材の知恵といってよい。(中略)せっかく積み上げてきた「取材現場の知恵」が傷ついたことで、政府各機関の記者懇にも負の影響が出ることが懸念される。 〉

日本の報道界の基準で見れば、オフレコ懇談が「知る権利」に応えるというのは正論だ。業界団体である日本新聞協会も「オフレコ取材は真実や事実の深層、実態に迫り、その背景を正確に把握するための有効な手法で、結果として国民の知る権利にこたえうる重要な手段である」との見解を示している。

だが、オフレコ懇談が本当に「知る権利」に合致する取材方法なのだろうか。少なくともアメリカの報道界の基準では180度異なる。オフレコ懇談のようなやり方は「知る権利」に応えるどころか「知る権利」を阻害する慣行、と見なされてもおかしくない。

それを如実に示しているのが米大手通信社APの記者行動ガイドラインだ。匿名の当局者によるバックグラウンドブリーフィングを安易に受け入れないよう警告している。「取材現場の知恵」どころか、「取材現場の悪行」としてやめるよう促しているのだ。

〈 取材対象が大勢の記者を集めてバックグラウンドブリーフィングを行おうとしたら、どう対応したらいいのか。APの記者は強く反対し、オンレコへ切り替えるよう主張すべきである。とりわけ取材対象が政府高官である場合は要注意だ。政府はあちこちで日常的にバックグラウンドブリーフィングを行っているのである。 〉

APはバックグラウンドブリーフィングについて「発言内容は報じてもいいが、発言者が特定されないよう名前は伏せるという条件下での説明会」と定義している。つまり、用語は違っても日本のオフレコ懇談と同じである。

バックグラウンドブリーフィング、つまりオフレコ懇談はなぜ有害なのか。それは、当局がメディアの論調を都合の良い方向へ誘導する「情報操作」を助長するからだ。

ライゼン記者の情報源とオフレコ懇談の発言者がどう違うのか比べてみると分かりやすい。前者は「当局に都合の悪い秘密を暴く」「オフレコ破りされたら当局から報復される」という立場にあり、後者は「当局に都合の良い情報を流す」「オフレコ破りされても当局から報復されない」という立場にある。

繰り返しになるが、180度異なる立場なのである。後者が「当局から報復されない」というのが象徴している。当局を批判するためではなく宣伝するために記者へ情報提供しているのだから、身元を特定されても報復されたないのは当たり前だ。権力者であるのだから、秘匿されるべき対象でもない。

当局の情報操作に乗せられた「よいしょ記者」
ニューヨーク・タイムズのライゼン記者は情報源の秘匿を貫いて証言を拒否しながらも、法廷侮辱罪で収監されずに済んだ。アメリカでは同様の理由で証言を拒否し、法廷侮辱罪で収監された記者もいる。ライゼン記者と同じニューヨーク・タイムズに所属し、イラク戦争を取材していたジュディス・ミラー記者だ。

情報源の秘匿を守って収監されたのだから、米報道界でミラー記者は英雄扱いされたのでは? ノーである。同記者は当局による情報操作に乗せられた代表例であり、最後には権力を持ち上げる「よいしょ記者」とのレッテルを張られたのである。

ミラー記者が結局明らかにした情報源は、日本で見られるオフレコ懇談の発言者と同じ立場にいた。イラク戦争時の米副大統領補佐官ルイス・リービー氏、つまり「当局に都合のよい情報を流す」政府高官だった。

リービー氏が支えたのは、イラク戦争開始前に「イラクに大量破壊兵器は存在する」とのプロパガンダを流し、結果的に国民を欺いたディック・チェイニー副大統領だ。ミラー記者は「大量破壊兵器は存在する」と紙面上で何度も報じ、イラク戦争の正当化に一役買っていた。


ミラー記者は記事中で情報源について「ブッシュ政権高官」などとあいまいに説明し、匿名報道を多用した。匿名の陰に隠れた政府高官にうまく操作され、「よいしょ記者」になったといえよう。そのため、当局者を情報源にする安易な匿名報道に対する批判が集まった。ミラー記者は「オフレコ破り」すべきだったのだ。

日本で働く記者が肝に銘じておかなければならないのは、オフレコ懇談ではミラー記者と同じ環境に置かれているという現実だ。記者クラブの延長線上で大勢の記者が深夜自宅前で権力者を取り囲む「夜回り」などの非公式取材も、実質的にオフレコ懇談だ。

これを正当化すると、「知る権利」に応えるどころか、当局の情報操作に乗せられた「よいしょ記者」になりかねない。

(転載終了)