わかりやすい説明ですので、Allaboutさんから添付させて頂きました。
今日はこれについて触れてみたいと思います。いまではこの「報連相の法則」「不必要」と取れるような評価する論があります。
しかし、どうでしょうか?
 

(以下転載、文を私用にコピーしたが、その後サイトが見つからず文章のみになりました)

会社や組織が大きくなるに連れ、 情報の共有意思の疎通が難しいことに気付きます。それはそれだけ社員の数または会員の数が増え、業務増多にともなう多様化や複雑さが増すからであります。

入社(入会)時は厳密に入社(入会)該当者を判断し、自社(会)に適任かどうか見極めることは至極当然なことです。しかし 「優秀な」をばかり選別していても新任教育や入社後数年で甲乙が現れます。

本人の能力が担当部署に合わないのかそれとも仲間たちと合わないのか、はたまたその社員の能力が高過ぎて発揮できないのか、いずれにしても本人は意気消沈し埋もれやがて淘汰されてゆきます。生まれた 社畜と言う言葉は、社に飼いならされた社員ではなく、脱落した社にへばり付く社員のことです。

日頃のコミュニケーションが取れるか取れないかで社内は変わるものと思います。つまりこの 「報連相の法則」が必要なのです。ここでの前提は上司と部下は友達ではないということです。

ゆとり教育がまったくいけなかったという訳ではありませんが、 人間性の低下、頭脳力の低下、そしてやる気の低下、この3Tを引き起こしたことは文部省がゆとり教育の見直しからみて判断できましょう。

ただ、この 「報連相の法則」は「報告」メインの仕事になってはいけないのです。つまり「報告」するための仕事はいけないということです。「報告」
は過程でありまたは結果であり、仕事の一部分。報告のためにすべてを費やしては能力の無駄使いなのです。

業務進行や成果結果を報告をする際は、資料を作成する。報告する上司へは分かりやすくそして理解をして頂けるよう説明をしなければならない。ヒラ社員などはこれが一番の ネックではないでしょうか。

プレゼン教本や参考書の名で本屋店頭で場所の幅の広げていますが、正直これは学生時代学校で教わる国語で終わる勉強のはず。言葉を知らない、字の意味が分からない、文章が書けない、だからこそ苦労するのです。
さらに喋れないのはもう論外。

これはおそらく、日本の学校教育の失敗例が引き起こした結果でしょう。これは先生方がいけないのでもなく 「教育指針」を決めた連中です。その責任の所在が分からないということも隠された日本式社会構造が原因と思います。

いわゆる 後々の「大企業病」とはこんなところから発症するのではないかと考察します。
(転載終了)

話が逸れてしまいますが、とはいえ、すでに能力にはできないものは出来ないという現実問題があります。これをどう打開するかに掛かっております。

「報連相」が出来る環境をつくる。これは上司と部下がナアナアで友達関係を築くことではありません。

個人的に 「部下を叱れない上司は上司に非ず」と思います。近年、パワハラが叫ばれていますが上司が上司たる威厳もなく役職をかざして業務を要求するからです。役職だけ立派な人間が多いいまの世。

上司も部下に尊敬される人間性、豊かな包容力のある人物で無ければならない。肩書きを持つ人物ならばその肩書きにふさわしいことを考えて行動すれば、パワハラだなんて部下から思われないのです。

言葉がすこし過ぎますが、 本当ならば自分のケツは自分で拭けだが、上司は部下のケツを拭けるかどうかです。肩書きが持つ重みとはそういう事ではないでしょうか。

しかし、会社(組織)で上司ばかりが能力を要求されるのではありません。部下も会社が要求するものに応えられるよう 努力をしなければならない。それは日ごろの自己学習であり自己研鑽、さらには自己啓発を追究し向上心を養うことです。

私はよく人生において 結婚は二度あると言います。一度は人生を貢献できる会社と、二度は人生を共に歩める伴侶と。人と人の相思相愛が会社を築き、人と人の相思相愛が明るい人生を創る。


幸せはやってくるものではなく、幸せは自分で勝ち取るものです。そのためには勝ち取ったときにそれにふさわしい自分自身を日ごろ育てることです。


さあ、難しく考えないで、事前、事中、事後。この進行状況を説明把握確認が出来れば良いのです。そのためにも報告が的確に出来る部下、その報告が活きるために判断出来る上司、総合的な観点でGOサインが出せるTOP。 「報連相」三位一体となって前進するのです。



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ほかのサイトより

6月21日のブログで記載しました 「日月神示が予言した"石屋"」には世界の流れは順番になっていることとありましたね。
(そのブログ↓↓↓)
http://akimine-hm3821.blog.jp/archives/8381045.html

第二次WWのあと、世界警察として君臨したアメリカは確かにリーダーであり、兄貴分として世界を牽引して参りました。いくら戦勝国が作り上げた「国連」があるとしてもアメリカの力は強大でありました。


しかし、2013年8月16日公開の映画 「ホワイトハウス・ダウン」のなかで、ソイヤー大統領役のジェイミー・フォックスが言うように「戦争を起こしたい奴らがいるんだ、その利権を守るために」このセリフの通り、戦争を起こしたい連中と戦争を阻止したい連中の抗争で内部から崩れていったのです。もはやこれは陰謀論でもなんでもないことです。




いま、世界のバランスは皆さんもうすうす感じ取っているように均衡は保たれていなく揺らいでいます。だが、これは決して崩壊ではなく次世代への変換期と認識すべきに思います。

アメリカ合衆国はもともと自由を求めて新天地に向かった人々が造った国。フリーダムが信条にあります。 「一部の人」が悪くしているのでしょう。世界牽引の兄貴分だったアメリカは誰かに乗っ取られた。その「誰か」をいい加減認識すべきです。時代は最大や最強でなくてもいいのです。アメリカは最善、最良の大国になっていって欲しいと思います。

中華人民共和国もアジアで戦争を起こしたい訳がなく、むしろソフトランディングの方向性で香港のデモを始まりとし、半共産半民主を目指すことでしょう。一番望まないのは「内戦」です。内戦を画策出来ないよう(内戦を支援したい連中がいる)情報統制を強めてます。数千年も続く同民族の殺し合いは是非とも避けたいのです。

ロシアももちろんデッチ上げられたウクライナ問題を拡大する気はないと思います。しかし、ロシア人の性格上左頬を引っ叩かれたら右頬を引っ叩き返せですから、売られたケンカは買うでしょう。ただ「落ち処」は模索します。


このように、世界の多極化はこの中野先生のおっしゃるとおり私もそう感じています。ただ論評は千差万別です。私は「悲観視」はないことです。アメリカが力が弱くなり駄目になったから世界均衡が崩れた訳ではなく、アメリカが 「株式会社化」にされてしまったから平和の均衡が崩れたのです。一方通行な「欲」がこん日を迎えたのです。

日本では、いつまでも右往左往していないで内政をしっかりまとめ、利権争い(内ゲバ)をせず、 「天下為公」を追求し、次期良き時代のいち世界リーダーとして、お財布の役割から卒業し、真の世界貢献をして欲しいものです。

私たち日本国民は、もう誰かがやってくれる、誰かが良くしてくれるとは思わずに、他力本願病を止め、一人ひとりが目線を上げ真っ直ぐに世を見つめ、バラけた団結力を再起させるべきです。


【世界和平】
これを望まない人間はこの地球にはいないはずでしょう。そして、桃源郷とされてきたが、いまでは 強欲へ魔人化した「資本主義社会」という怪物を皆で正すべきではないでしょうか。