備忘録へ残しておきます。

ヴェノナ文書が暴いたルーズヴェルトの戦争責任
http://touron.l-mate.net/archive/seminar130804.phpより


スタジオ日本・特別報道番組 第8弾
日本会議福岡 第9回 追悼・感謝 英霊顕彰・県民の集い(平成25年8月4日開催)

[趣旨]
「ヴェノナ文書」が暴いたコミンテルンの戦争責任
■コミンテルンのスパイを暴いた「ヴェノナ文書」の衝撃

 第二次世界大戦前後の時期に、アメリカ政府内部に多数のソ連のスパイが潜入していることを暴いた「ヴェノナ文書」の公開以降、同国内では、「ルーズヴェルト政権はソ連や中国共産党と通じていたのではないか」という古くからの疑念が、確信へと変わりつつある。当然、当時をめぐる歴史観の見直しも進んでいる。しかも、そのピッチは近年、急加速していると言ってよい。

 ヴェノナ文書とは、第二次世界大戦前後の時期にアメリカ国内のソ連のスパイたちがモスクワの諜報本部とやり取りした秘密通信を、アメリカ陸軍情報部が秘密裡に傍受し解読した記録である。1995年、アメリカ国家安全保障局(NSA)が公開した。

 これら機密文書が次々と公開され、その研究が進んできた結果、ルーズヴェルト大統領の側近であったアルジャー・ヒス(傍線は共産党員又は協力者と思われる人物。以下同じ)を始めとする二百人以上のスパイ(あるいは協力者)が政府官僚として働いていたことが立証されつつあるのだ。【略】


●第1段階「アメリカ共産党の創設」

imageレーニン
 ソ連の指導者レーニンは1919年、世界共産化を目指してコミンテルンを創設した。

 世界共産化とは、全世界の資本主義国家すべてを転覆・崩壊させ、共産党一党独裁政権を樹立することである。ではどうやって世界共産化を成功させるのか。レーニンは、「敗戦革命論」を唱えた。敗戦革命論とは、資本主義国家間の矛盾対立を煽って資本主義国家同士が戦争をするよう仕向けるとともに、その戦争後、敗戦の混乱に乗じて共産党が権力を掌握するというのが革命戦略だ。

 要するに、共産主義革命のため、国家間の対立を煽って戦争を引き起こし、自国を敗戦に追い込もうというものだ。日本にとって不幸だったのは、この謀略の重点対象国が、日露戦争を戦ったわが日本と、世界最大の資本主義国家アメリカだったということだ。日米二つの資本主義国の対立を煽って日米戦争へと誘導することは、コミンテルンにとって最重要課題であった。

 現にレーニンは1920年、世界共産化を進めるためアメリカを利用して日本に対抗し、日米両国の対立を煽るべきだと主張している。こうした「資本主義国間の戦争から敗戦革命へ」という戦略を遂行するため1919年9月、コミンテルン・アメリカ支部としてアメリカ共産党も設立されたのである。ちなみにその代表は日本人の片山潜である。

●第2段階「人民統一戦線を構築せよ」

imageルーズヴェルト
 1931年、アジアで満洲事変が勃発し、ソ連は日本と国境線を挟んで直接対峙することになった。日本の台頭に恐怖を覚えたコミンテルンは1932年2月、「満洲に対する日本の攻撃と反ソ大戦争の準備との密接な関係」を理解していない外国の同志たちを厳しく叱責し、「断固たる大衆動員が必要である。何よりも、あらゆる資本主義国の鉄道を通り、あらゆる資本主義国の港から日本に向けて積みだされる武器と軍需物資の輸送に反対しなければならない」として、日本と戦う中国を支援するとともに、対日経済制裁を起こすよう各国の共産党に指示した。【略】

 この1933年にドイツではヒトラー政権が成立した。日独という二つの反共国家の台頭に脅威を感じたソ連は世界戦略を大きく転換する。1935年にモスクワで開催された第七回コミンテルン大会において、従来の「階級闘争・世界共産主義革命路線」を修正し、日独というファシズム国家と戦うためにアメリカやイギリスの資本家や社会主義者とも手を組んで広範な人民統一戦線を構築するよう世界各国の共産党に指示したのである。

 一方、ルーズヴェルト大統領も1933年、ハミルトン・フィッシュ下院議員ら保守派の反対を押し切ってソ連との国交を樹立した。【略】


●第3段階「シンクタンクIPRの乗っ取り工作」
 この人民統一戦線を理論的に支えたのが、当時アメリカ最大のアジア問題のシンクタンク「太平洋問題調査会」(=IPR)だった。

 IPRは、アジア太平洋沿岸国のYMCA(キリスト教青年会)の主事(教会の牧師にあたる)たちが国際理解を推進するとともにキリスト教布教を強化する目的で1925年、ハワイのホノルルで汎太平洋YMCA会議を開催した際に創設された。ロックフェラー財団の資金援助を受けたIPRはアメリカ、日本、中国、カナダ、オーストラリアなどに支部を持ち、2年に一度の割合で国際会議を開催、1930年代には世界を代表するアジア問題についてのシンクタンクへと成長することになる。

 このIPRを、アメリカ共産党は乗っ取ったのだ。YMCA主事としてインドや中国で活動したエドワード・カーターが1933年に事務総長に就任するや、中立的な研究機関から日本の外交政策を批判する政治団体へと、IPRはその性格を大きく変えていく。カーター事務総長は1934年、IPR本部事務局をホノルルからニューヨークに移すとともに、政治問題について積極的に取り上げることを主張し、機関誌「パシフィック・アフェアーズ」の編集長にオーエン・ラティモアを抜擢した。

 後にマッカーシー上院議員によって「ソ連のスパイ」だと非難されたラティモアはIPRの機関誌において日本の中国政策を「侵略的」だと非難する一方で、その政治的偏向ぶりは当時から問題になっていた。【略】

 IPRは1939年になると、冀朝鼎、陳翰笙ら共産党員の手で、ハーバート・ノーマン著『日本における近代国家の成立』など日本の中国「侵略」を非難する「調査シリーズ」というブックレット集を次々と刊行し、欧米諸国の外交政策に多大な影響を発揮したばかりか、アメリカの対日占領政策の骨格を決定することになった。

 何故ならIPRは戦時中、太平洋方面に派遣される陸海軍の将校向けの教育プログラム作成に関与するとともに、『汝の敵、日本を知れ』といった啓蒙用反日パンフレットを軍や政府に大量に供給したからである。特にIPRが製作に協力したフランク・キャプラ監督の宣伝映画『汝の敵を知れ』は、日本が世界征服を目論んでいたとする田中メモランダムや「国家神道による洗脳」、「南京大虐殺」などが毒々しく紹介され、神道指令や東京裁判における「南京大虐殺」追及へとつながることになった。ちなみにこの反日宣伝映画の製作や米軍将校教育プログラムをIPRに委託するよう指示したのは、ジョージ・マーシャル陸軍参謀総長だった。


●第4段階「中国共産党を支持する雑誌『アメラシア』を創刊」

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蒋介石
 1936年12月、中国で西安事件が起こり、中国国民党の指導者蒋介石は、中国共産党とともに抗日戦争を開始する方向へと政策転換を強いられた。この国共合作を支援するアメリカ世論を形成すべく、IPRに潜り込んだ「赤い百万長者」のフィールドは1937年3月、『チャイナ・トゥデイ』編集長ジャッフェと一緒に、中国共産党を支持する雑誌『アメラシア』を創刊する。

 その編集部事務所は、IPR事務局と棟続きに置かれ、IPR機関誌の編集長ラティモア、冀朝鼎、そして元在中国宣教師で外交政策協会研究員のT・A・ビッソンが編集委員となった。戦後GHQ民政局の一員として財閥解体や憲法改正などを担当したビッソンもまたヴェノナ文書によれば、ソ連のスパイであった。【略】


●第5段階「ルーズヴェルト大統領一族を取り込め」

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支那事変の発端となった
北京郊外の廬溝橋
 1937年7月、盧溝橋事件が起こると、アメリカの反ファシズム団体は一斉に、反日親中運動を開始した。その当時、全米24州に109の支部を持ち、会員数400万人を誇る「反戦・反ファシズム・アメリカ連盟」は11月に全米大会を開催し、その名称を「アメリカ平和民主主義連盟」と改め、「平和」と「民主主義」を守るという誰でもよく分かる名目を掲げることで、より広範なアメリカ民衆を結集しようとしたのだ。更にこの「アメリカ平和民主主義連盟」のもとに、全米22都市に支部をもつ「中国支援評議会」を設置し、日本の中国「侵略」反対のデモや対日武器禁輸を国会に請願する活動も開始した。

 在ニューヨーク日本総領事館が作成した昭和15年7月付機密文書『米国内ノ反日援支運動』によれば、「中国支援評議会」の名誉会長に就任したのは、ジェームス・ルーズヴェルト夫人だった。ルーズヴェルト大統領の実母だ。名誉副会長には中国政府の胡適元駐米大使が、常任理事にはマーシャル陸軍参謀総長の夫人がそれぞれ就任した。

 夫の理解がなく夫人がこのような反日組織の理事に就任するとは思えないし、前述したようにマーシャル陸軍参謀総長は戦時中に「南京大虐殺」を非難する反日映画の製作を命じており、その思想傾向はよくよく検証する必要がありそうだ。

 ともかく、表向きはルーズヴェルト大統領の実母やマーシャル陸軍参謀総長夫人が役員を務めた「中国支援評議会」だが、その実態はやはりアメリカ共産党の外郭団体だった。

 他の常任理事には、フィリップ・ジャッフェや冀朝鼎ら「ソ連のスパイ」が就き、事務局長にはミルドレッド・プライス女史が就任した。ヴェノナ文書によれば、プライス女史は、その姉妹であるマリー・プライス女史とともに、アメリカの内部情報をソ連に報告していたスパイであった。

 ただし、ヴェノナ文書が公開された現在だからこそ、彼らがソ連のスパイであることも分かっているが、当時の一般のアメリカ人たちの目には、ジャッフェもプライス女史も中国救援に熱心な人道主義者と映っていたに違いない。中国支援評議会の活動に協力したアメリカ人は約300万人とも言われているが、アメリカの大多数の国民は見事に騙されていたわけだ。【略】


●第6段階「スティムソン元国務長官を利用したロビー活動」
 キリスト教関係者を前面に出しながら、その実態は中国国民党の工作員とアメリカ共産党関係者によって構成されていたアメリカ委員会は、『日本の戦争犯罪に加担するアメリカ』と題したブックレットを60,000部、『戦争犯罪』と題したパンフレットを22,000部作製し、連邦議会上下両院のあらゆる議員やキリスト教団体、婦人団体、労働組合などに配布し、大々的なロビー活動を開始した。

 このロビー活動を受けてルーズヴェルト政権は、中国支援へと舵を切っていく。ホーンベック国務省極東部長の進言を受けてルーズヴェルト大統領は1938年12月、「対日牽制の意を込めて」、中国国民党政府に2500万ドルの借款供与を決定したのである。【略】

 一方、日本外務省はと言えば、アメリカでの反日活動の背後にアメリカ共産党・コミンテルンの暗躍があることを正確に分析していた。

 若杉要ニューヨーク総領事は1938年7月20日、宇垣一成外務大臣に対して、『当地方ニ於ケル支那側宣伝ニ関スル件』と題する機密報告書を提出、アメリカの反日宣伝の実態について次のように分析している。

 一、シナ事変以来、アメリカの新聞社は「日本の侵略からデモクラシーを擁護すべく苦闘している中国」という構図で、中国の被害状況をセンセーショナルに報道している。
 二~五 略
 六、共産党は表向き「デモクラシー擁護」を叫んで反ファシズム諸勢力の結集に努めており、その反日工作は侮りがたいほどの成功を収めている。
 七、アメリカ共産党の真の狙いは、デモクラシー擁護などではなく、日米関係を悪化させて支那事変を長期化させ、結果的に日本がソ連に対して軍事的圧力を加えることができないようにすることだ。

 若杉総領事はこう述べて、近衛内閣に対して、「ルーズヴェルト政権の反日政策の背後にはアメリカ共産党がいる」ことを強調し、共産党による日米分断作戦に乗らないよう訴えたのだ。

 ルーズヴェルト政権はその後、反日世論の盛り上がりを受けて1939年7月26日、日米通商条約の廃棄を通告。日本はクズ鉄、鋼鉄、石油など重要物資の供給をアメリカに依存しており、日本経済は致命的な打撃を受ける可能性が生まれてきた。一方、中国国民党の蒋介石政権に対しては1940年3月、2000万ドルの軍事援助を表明、反日親中政策を鮮明にしつつあった。【略】

 つまり、ルーズヴェルト政権の反日政策に反発して近衛内閣が反米政策をとることは、結果的にスターリンによるアジア共産化に加担することになるから注意すべきだと若杉総領事は訴えたわけだが、その声に、近衛内閣は耳を傾けなかった。

 若杉総領事の報告書が届いた翌日、近衛内閣は、ゾルゲ・グループの尾崎秀美ら昭和研究家の影響を受けて、アジアから英米勢力排除を目指す「大東亜新秩序建設」を国是とする「基本国策要項」を閣議決定し、翌1941年4月13日には日ソ中立条約を締結するなど、ソ連と連携しながら反米政策を推進していった。


●第7段階「アメリカ政権内部のスパイたちが対日圧迫政策を強行」

imageハリー・ホワイト
 対抗してアメリカのルーズヴェルト政権も、コミンテルン・アメリカ共産党が築いた反日世論を背景に、対日圧迫外交を強化していく。

 ルーズヴェルト大統領は1941年3月、ラフリン・カリー大統領補佐官を蒋介石政権に派遣し、本格的な対中軍事援助について協議をしている。翌4月、カリー大統領補佐官は、蒋介石政権と連携して日本本土を約500の戦闘機や爆撃機で空爆する計画を立案。JB355と呼ばれる、この日本空爆計画に対してルーズヴェルト大統領は7月23日に承認のサインをしている。日本が真珠湾攻撃をする4ヶ月以上も前に、ルーズヴェルト大統領は日本爆撃を指示していたわけだ。

 エドワード・ミラー著『日本経済を殲滅せよ』によれば、7月26日、財務省通貨調査局長のハリー・デクスター・ホワイトの提案で在米日本資産は凍結され、日本の金融資産は無価値となり、日本は実質的に「破産」に追い込まれた。それだけではない。ホワイトは財務省官僚でありながら11月、日米交渉に際して事実上の対日最後通告となった『ハル・ノート』原案を作成し、東條内閣を対米戦争へと追い込んだ。

 ヴェノナ文書によれば、これら反日政策を推進したカリー大統領補佐官もホワイト財務省通貨調査局長も、ソ連のスパイであった。

 かくして1941年12月、日米戦争が勃発した。真珠湾攻撃の翌々日の12月9日、中国共産党は日米戦争の勃発によって「太平洋反日統一戦戦線が完成した」との声明を出している。アメリカを使って日本を叩き潰すというソ連・コミンテルンの戦略は、21年後に現実のものとなったわけだ。

 以上のように、ヴェノナ文書やコミンテルン文書、日本外務省の機密文書などが公開されるようになって、コミンテルンと中国共産党、そして「ソ連のスパイ」たちを重用したルーズヴェルト政権が戦前・戦中、そして戦後、何をしたのかが徐々に明らかになりつつある。
(『コミンテルンとルーズヴェルトの時限爆弾』)


ヤルタ協定を批判したブッシュ大統領と保守主義者たち
■波紋を呼んだブッシュ大統領の「ヤルタ協定」批判

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ヤルタ会談(左からチャーチル、ルーズヴェルト、スターリン)

 2005年(平成17年)5月7日、ブッシュ大統領はラトビアの首都リガで演説し、1945年2月のヤルタ会談での米英ソ三ヶ国合意について、「安定のため小国の自由を犠牲にした試みは反対に欧州を分断し不安定化をもたらす結果を招いた」と言明し、「史上最大の過ちの一つ」だと強く非難したのである。

 なぜヤルタ協定を「史上最大の過ちの一つ」と非難したことが戦後の国際秩序の基本原則を揺るがすことになるのか。1945年2月、ルーズヴェルト大統領、チャーチル首相、スターリン元帥という米英ソ三ヶ国首脳がソ連領のヤルタで行った会談では、1943年1月のカサブランカ会談での合意を踏まえ、①国際連合を新設し、戦勝国(米英仏ソ中)主導で国際秩序を維持する、②日独に対しては「侵略国家」として戦争責任を追及するとともに軍事力を剥奪し徹底的に封じ込める―という基本原則が確認されたからである。GHQが憲法九条を強制したのも、東京裁判を実施して「侵略国家」というレッテルを貼ったのも、カサブランカ・ヤルタ両会談で確認された基本原則に基づいている。

 ヤルタ会談ではまた、国際連合構想にソ連が同意する見返りとしてポーランドやバルト三国などをソ連の勢力圏と認めることや、ソ連の対日参戦と引き換えに満州の権益や南樺太、そしてわが国固有の領土である北方領土を与える「秘密協定」が、東欧諸国や日本といった当事国の同意を得ることなく一方的に結ばれた。第二次世界大戦後、東欧諸国がソ連の支配下で苦しんだのも、日本の降伏後、ソ連による満洲占領、中国での国共内戦の激化と中国共産党政府の樹立、朝鮮半島の分割、ソ連による北方領土の占領など極東で連鎖的に起きた危機も、すべてヤルタ協定に原因をたどることができる。

 かくして後に政治学者たちから「ヤルタ体制」と呼ばれるようになった戦後の国際秩序の出発点を、こともあろうに当事国であったアメリカのブッシュ大統領が正面から批判したのである。現職の大統領が自国の大統領が行った外交政策を公式に非難するのは極めて異例で、国際社会でも少なからぬ反響を巻き起こした。

 ロシアのプーチン大統領は2005年5月7日付仏紙フィガロで、ヤルタ協定について「米英ソの三首脳がナチズム復活を阻止し、世界を破局から防ぐ国際体制を目指して合意した。その目的に沿って国連も形成された」と評価し、ブッシュ大統領に対して正面から反論した。【略】


■共産中国と北朝鮮を生んだヤルタ協定

imageジョージ・ブッシュ

 当のアメリカの反応はどうか。アメリカ最大の保守系オピニオン・サイト「タウン・ホール」に、「草の根保守」のリーダー、フィリス・シュラーフリー女史は2005年5月16日付で「ブッシュ大統領、ヤルタの屈辱を晴らす」と題して次のような論説を書いている。

《ジョージ・W・ブッシュ大統領、ありがとう。時期がだいぶ遅れたとはいえ、誤った歴史を見直して、フランクリン・D・ルーズヴェルト大統領の悲劇的な間違いのひとつを指摘し、よくぞ謝罪の意を表明してくれました。
 去る5月7日、ラトビアにおいて演説したブッシュ大統領は、大国同士の談合によって、多くの小国の自由を売り飛ばしたヤルタ協定を誤りだったと言明しました。ブッシュ大統領は「中央ヨーロッパと東ヨーロッパの数百万人を囚われの身」に貶めたヤルタ協定を的確に非難し、「歴史上、最も大きな誤りのうちの一つとして記憶されるであろう」と述べました。
 この発言がなされるまで50年の歳月が経過しましたが、ブッシュの発言は、「ヤルタ協定の負の遺産が最終的に今後永遠に葬り去られた」ことを確認したことになります。》

 シュラーフリー女史は更に、この協定によって我々アメリカ人は現在、中国の共産主義帝国の台頭と北朝鮮の核開発に苦しまなければならなくなったとして、次のように訴えている。

 《ルーズヴェルトの擁護者は、スターリンを日本との戦いに引き込むためにはこれらの譲歩が必要だった、と正当化しようとしました。ヤルタ文書は、その主張が間違っていたということを証明しています。例えば、ヤルタ会談の3ヶ月半前、アバレル・ハリマン駐ソ大使は、ルーズヴェルトに対し「太平洋戦争に参加するだけではなく、全面的に対日戦争に参戦するという完全同意をスターリンから得ている」ことを伝えています。
 ロシアは太平洋戦争に必要ありませんでした。そして、ロシアの参戦は、中国と北朝鮮における共産主義帝国構築への道を開くことになったのです。ソ連の参戦は、1950年代の朝鮮戦争と、今日の北朝鮮共産主義の独裁者の息子による核開発の恫喝を招いたのです。》【略】

 このようにアメリカのリベラル派によって正当化されてきた「ヤルタ協定」を批判し、歴史観の見直しを行ったブッシュ発言を、シュラーフリー女史は手放しで支持しているのである。【略】
(『コミンテルンとルーズヴェルトの時限爆弾』)

[シリーズ]
 ■第9回(平成25年8月4日開催)  
【江崎道朗先生(評論家)「ヴェノナ文書が暴いたルーズヴェルトの戦争責任」】



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