小さい頃はよく牛乳を飲まされたものです。皆様も同じではないでしょうか。
「背が高くなる」
「健康な体」
「丈夫な骨」
etc.
男子ならなおさらですね。

私は父が米属軍人のせいか基地から支給される粉乳だったとよく記憶しています。6歳すぎても飲んでいましたから少し『甘えん坊』なのかもしれませんね。

舌が覚えたその支給された粉乳の味覚と一般的に売られている牛乳の味が全然違うことに気付くのは難しくないことでした。滞在国の現地の子どもらにも自分が飲む分を分けてましたが物々交換方式でしたね。

当時の交換とはなんでも『良いもの』を言い、それはおもちゃであったり変わった形の石ころであったり昆虫であったり、葉っぱであったりとかわいいものです。今思えば『商売』もそんなものなのかと思います。(余談)笑


しかしある日からピタッと飲まなくなりましたね。なんでも『子牛が飲むお乳を人間も飲むのはおかしくないかい?』という話が主婦方により持ち上がったからです。

粉乳や牛乳を飲みたい気持ちと物々交換の『さばきたい気持ち?』を抑えそして大分時が経ってしまいました。


最近どうもその牛の乳で「子牛が飲むお乳が人間も飲むのはおかしくないかい?」と言っていたその時の井戸端会議の論評が現れになっています。

下記に記載された事を読んで頂き今後飲むのか、飲まないのかはもちろん各人の自由意志であります。しかし読んだのちはかなり勉強になります。

ご自身に合った方法を見つけましょう。私?飲みませんが…。笑



ですがすこし観点は違うがあらためて考えてみますと、日本人っていうのは包容力か寛大さがあるのかまたはミーハーなのか、他の文化の吸収にせよ意図的な洗脳策略にせよ、それを違和感なく自己文化に溶け込ませる高い能力は他の民族のそれをも簡単に超えるものがあるように思います。これは日本民族の良さのひとつなのかもしれません。

(イメージ)
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『病気にならない生き方』
新谷弘実・著  
サンマーク出版


http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/bookstand-enzyme.html
(文中より)
・腸のために毎日ヨーグルトを食べるようにしてる。
・カルシウム不足にならないよう、毎日牛乳を飲んでいる。
・果物は太りやすいので控え、ビタミンはサプリメントでとるようにしている。
・太りすぎないよう、ごはんやパンなど炭水化物はなるべく控えるようにしている。
・高タンパク低カロリーの食事を心がけている。
・水分はカテキンの豊富な日本茶でとるようにしている。
・水道水は残留農薬を抜くために、必ず一度沸騰させてから飲んでいる。

これらはすべて胃相・腸相を悪くする
「間違った健康法」
なのです。
 
事実、毎日ヨーグルトを食べているという人で、よい腸相の持ち主に会ったことがありません。アメリカ人の大半は毎日たくさんの牛乳を飲みますが、非常に多くの人が骨粗鬆症に悩まされています。お茶先生など、仕事で大量のお茶を飲んでいる人には、胃ガンの前駆症状ともいえる萎縮性胃炎を起こしている人が少なくありません。

胃相・腸相の悪い人に健康な人はいません。


『病気にならない生き方』





『牛乳 -この魅惑的な白い液体の魔力』より

http://www.eps1.comlink.ne.jp/~mayus/index.html
(文転載)
日本人の古来の食文化には牛の乳汁を飲むという伝統はなかった。もちろん、日本でも牛馬は飼われていた。しかし、日本の牛馬は農耕・運搬用であり、その乳汁を飲んだり、屠殺して肉を食用に供するということはなかった。

このことはアジア・アフリカに共通している(例外はある)。牛乳をそのまま(全乳のこと。現在は減菌・滅菌している)飲むのは西洋人(皮膚の色の薄い人たち;コーカソイド)だけである。

日本人が牛乳を飲みはじめたのは明治時代、西洋文化の到来以降のことである。外観を西洋風にすることを文明開化といい、髪型をザンギリにし、洋服を着ることが洋風とされた。皇族の正装は燕尾服にシルクハット、皇室の正餐はフランス料理とされた。当然、西洋人が好む牛乳の効能も喧伝された。

しかし、食習慣のような文化の基層をなすものは簡単には変わらない。明治中頃の東京での牛乳消費量は年間1人当たり1.2 L程度であったという。一般人が簡単に口にできるものではなく、牛乳は薬として用いられていたらしい。

一般人が牛乳を飲めるようになったのはもっぱら敗戦後のことである。牛乳消費量は高度経済成長期の1960年代に入って急速に増えた。

1946年には1.13kgであった年間1人当たりの牛乳・乳製品の消費量は、1960年12.0kg、1970年28.8kg、1980年42.0kg、1990年47.5kgとなり、2001年には62.1kgとなった。2001年の消費量は1946年の実に55倍である
(図1)
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日本人がなぜ牛乳を飲むようになったのか。獣の分泌液は日本人の忌み嫌うものであったのに。日本人は好奇心が強い。圧倒的な体格の西洋人は何を食っているのか。江戸末期・明治初期の日本人は好奇の眼で西洋人の食べ物を観察したことだろう。

西洋人は獣肉を食らい、牛乳という白い液体を飲んでいる! 
あれが彼らの秘密兵器だ! 
西洋人のように大きく強くなるには、獣肉を食い牛乳を飲まなくてはならない! 
…牛乳神話の始まりである。


戦後、連合軍総司令部(GHQ、中心はアメリカ)は学童に脱脂粉乳でつくったミルクを飲ませた。あれで牛乳が飲めなくなったという人もいるが、1930-1940年生まれのものはこの脱脂粉乳で牛乳の味と匂いに慣れた。1954年には学校給食法が公布された。

学校給食の主体はコッペパンと牛乳であった。覚えておられる方もいるだろうが、「米を食っていたから戦争に負けた」「米を食うと頭が悪くなる」などととんでもないことを言う人もいた。

アメリカの映画で観たパンとバターにフライドエッグ、牛乳とコーヒーという朝食は日本人の憧れでもあったから、日本でパン食が急速に普及した。今考えると、脱脂粉乳の支給とパンと牛乳からなる学校給食は、アメリカの穀物戦略の一環であったのだろう。

1950年代のアメリカは緑の革命の真只中にあり、余剰穀物の売り捌き先として巨大な人口を抱える日本が標的となった。米食民族をパン食民族に変えようとしたのである。日本人は、官民あげて、その戦略の一端を担った。

しかし、牛乳消費量の増加に一役も二役もかったのはなんと言ってもアイスクリームだろう。牛乳の臭いが嫌いだという人でも、あの舌の上でとろける柔らかい甘味を嫌う人は少ないからだ。

牛乳の消費量が増えただけではない。日本人は肉も食べるようになった。1947年の1人当たりの年間消費量は2.1kgであったが、1960年に6.8kg、1970年に15.5kg、1980年に24.8kg、1990年に26.0kg、1995年には30.0kgに達した(ただし、狂牛病の発生により、最近の肉消費量は低迷している、2001年の消費量は27.8kg)

1946-1995年の50年間で14倍に増えたことになる(図1参照)


その一方、日本人の主食であったコメの消費量が減った。1946年のコメの消費量(年間1人当たり)は88.0kgであった。その後、コメの増産に伴ってコメが十分に食べられるようになり、1959年には133.0kgという戦後の最大消費量を示した。その後、日本人はだんだんコメを食べなくなり、1970年に99.0kg、1980年に82.4kg、1990年に72.2kg、1995年には61.3kgとなった
(図1参照)

現在の日本人はコメをよく食べていた1959年に比べると、その半分以下のコメしか食べていないことになる。減反し、青田刈りしてなおコメが余るというのが日本のコメ造りの現状である。




『牛の個体識別番号検索』
随時更新の優れものです。パッケージングにある識別番号を入力すれば「由来」がわかります。

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https://www.id.nlbc.go.jp/top.html




『日本人だからこそご飯を食べるな』


『乳ガンと牛乳』