「余命半年」の宣告…がんの名医ががんになって初めてわかったこと
患者にとって一番大切なものとは?

現代ビジネスより
(転載開始)

る日を境に、がんの外科医は、がん患者になった。手術、抗がん剤、医者とのコミュニケーション……自分が病気になって初めて分かったことがある。金沢赤十字病院・西村元一副院長が知った、がん患者にとって一番大切なも のは何か。

後輩の外科医に告知され

「治療をしなければ余命半年」――そう宣告されてから9月で2回目の誕生日を迎え、58歳になりました。

私は消化器、主に大腸がん専門の外科医として、数多くのがん患者を治療してきました。これまでがんを治す側だった人間が、がんになって初めて見える世界があったのです。

それを綴ったのが自著『余命半年、僕はこうして乗り越えた! がんの外科医が一晩でがん患者になってからしたこと』(ブックマン社)です。

胃にがんが見つかったのは昨年の3月でした。患者さんを診療中に気分が悪くなりトイレで下血し、胃カメラ検査を受けたところ食道から胃に入るところに腫瘍があったのです。

僕は石川県金沢市生まれ、'83年に金沢大学医学部を卒業。同大病院胃腸科外科科長などを経て、'08年に金沢赤十字病院第一外科部長、'09年から同病院の副院長を兼務してきました。

自分は外科医として大腸がん検診を推進してきた手前、大腸がんになるのは困ると思い、毎年、大腸がん検診は受けてきたのですが、胃がん検診は6年間受けませんでした。胃がんのことも頭の片隅にありましたが「まだ若いから大丈夫だろう」と根拠のない自信を持っていたのが悪かった。

がんはすでに胃だけでなく、肝臓やリンパ節にも転移していた。僕に「余命半年」とがんを告知してくれたのは、後輩の外科医です。

告知された瞬間は「やっぱりな……」という程度で、よく言われるような「頭が真っ白になる」ことはなかったですね。ただし、がん告知を受けてからは常に「死」というか「終わり」を意識するようになりました。

がん専門医でありながら、これから自分にどんな症状が出て、最後はどうなって死ぬのかなと不安にもなりました。

僕は、がんという病気と治療法を熟知している特殊な患者です。その点、後輩の担当医はやりづらい部分もあったと思う。

がんの遺伝子構造は一人一人異なり、一つとして同じがんはありません。だから治療法も人それぞれ違う。「これが絶対」という治療法はないのです。

がん治療は選択肢を間違うと、やり直しがききません。大事なのは医師が病気と治療法の選択肢について患者に正確に伝えること、そして患者自身も正しい情報を集めること。医師が示した選択肢の中から、自分にふさわしい治療法を患者が選び、納得して治療を受けることが大切です。

僕は、まず抗がん剤でがんを叩いて小さくした上で、胃、肝臓の一部など怪しいところを全部切除することにしました。

薬の副作用は「味覚障害」

納得して決めたことですが、それでも想像以上に苦しかったのが「抗がん剤の副作用」でした。その中でも特に僕を悩ませたのは、「味覚障害」でした。

専門医として味覚障害の副作用を知っていたつもりですが、実際の体験は予想とはまるで違いました。僕の理解では、すべての味覚が落ちると思っていましたが、実際は、口の中が絶えず甘くて苦い感じで、水やお茶を飲んでもとても甘い。

元々ケーキとか甘いものが好きでしたが、副作用が出てからは、人工甘味料が入ったものは甘みがキツくてとても飲んだり、食べたりできませんでした。

そのため、経口抗がん剤でもある口腔内崩壊錠(OD錠)と麻薬性鎮痛剤の細粒も、僕にとっては「有り難迷惑な薬」でしかなかった。

OD錠は、水がなくても唾液だけで服用できるので、僕も非常に便利な剤形だと思って患者に処方してきました。

ところがOD錠は口の中で溶けだすと甘くなるため、甘みがキツくて、とても飲み込めませんでした。溶けないように一気に喉の奥に送り込んだところ、喉にひっかかって何度も辛い思いをしました。こうしたことは患者になるまで予想もしませんでした。

この自分の体験を少しでも役立てたいと思い、同僚の医師や薬剤師らだけでなく、製薬会社にも連絡して、副作用の出方を細かく伝えました。もちろん、すぐに改善は無理ですが、長い目で見れば、きっと意味があると思っています。

辛い抗がん剤治療が終わり、いよいよ次は手術となりました。しかし、検査で新たなリンパ節転移が判明したため、がんが腹膜に転移している可能性も考え「無理に手術をせず、抗がん剤治療を続けようか」と迷いました。

神頼みもした

私は外科医としての自負を持っていますが、手術が絶対に正しいわけではありません。手術が引き金でいろんな合併症が起き、致命的な状況になるかもしれない。

「死」という最悪の事態も頭をかすめました。外科医だからといって手術を簡単に受け入れたわけではありません。

一晩悩んだ後、うまく切除できれば、がん組織が減量できて予後が延びるかもしれないと考え、妻に相談して手術を決めました。妻に話したのは背中を押してもらいたかったのかもしれませんね。

栄養剤を飲むなどして体力をつけ手術に備える一方で、インターネットで偶然知った「がん封じ寺」を夫婦で訪ねました。

医者が神頼みなんて奇妙に思われるでしょうが、がんになってからは「がん」や「命」「死」などの単語にナーバスに反応するようになったのです。これは自分でも驚きでした。手術までに「神頼みでも何でも、できることはやろうじゃないか」という気持ちでしたね。

手術では胃を全摘し、膵臓や肝臓の一部も切除した。手術は成功しましたが、術後に腸液が漏れ出すなどのトラブルもあり、「一から手術のやり直しかも」、「手術しないほうがよかったんじゃないか」と軽いパニックになったこともありました。

医師として、このような合併症は時々経験してきましたが、いざ自分のことになると最悪のことばかり考えてしまう。でも「人間は強し」ですね。その後自然と回復の方向に向かっていきました。

患者が言われると傷つく言葉

術後は放射線治療を追加し、免疫細胞治療も受けました。「抗がん剤と免疫細胞治療の両方をやるとどっちが効いたか分からなくなるので、併用しない」という医者もいますが、自分ががんになったら本当に同じことを望むでしょうか? 

ごちゃ混ぜでもなんでも効けばいい。どっちが効いていようが患者には関係ないのです。

もちろん、治療を受けたからといって100%、元の体に戻るわけではありません。いまは小康状態を保っていますが、ストレスを受けると体調が悪くなります。しかし余命半年と言われてから2年弱。いまは「プラスαの人生を生きているのだ」と前向きに考えるようにしています。

僕は以前、進行がんの患者さんから「先生はがんになったことがないから分からないよね」と言われたことがあるんです。その言葉がずっと頭に残っていました。

自分は「がんを知っているフリ」、「がん患者のことを分かっているフリ」をしているだけなんじゃないかと、思うことがあった。自分ががんになって、やはりその通りだったと気づきました。

たとえば周りから、「ゆっくり休んでね」と何気なく言われた言葉が患者には「もう自分は必要とされていないんだ」と思える。

「痛みはありますか」と医者に聞かれたら「後で痛くなるのか、何か隠しているのか」と疑心暗鬼になる。

そういうことも自分ががん患者になって初めて分かりました。

その一方で患者も医者や家族の前では、見かけ以上に強がって元気なフリをします。


医者と患者のこの「ズレ」が大きくなると、いい医療は絶対にできません。

そこで僕が現在、精力を傾けているのが、がん患者と家族、医療者が本音で語り合える場所(金沢マギー)作りです。

有り難いことに、全国から講演依頼がきているので、体調の許す限り自分の経験を多くの人に話したいと思っています。

がんの外科医でありながら、がん患者でもある僕だからこそ、できることがある。それが今の僕の生きがいになっています。

繰り返しになりますが、病気になった時、大切なことは病院任せ、医者任せにしないこと。自分で納得して決めることが重要です。

人生は「予想外」の連続。僕がこうしてまだ生きていることも、医者からすればある意味予想外のことかもしれません。だから僕と同じようにがんと闘っている患者さんも、どうかあきらめないでください。

 

「週刊現代」2016年10月29日号よ


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