側近が語る孫文の「天下為公」

 

まほろばの泉様より
(以下転載)

中華民族から国父と仰がれている孫文が好んで揮毫した「天下、公に為す」、それは中華民族への訓語であり覚醒を促すものである。
「衣食足りて礼節を知る」とはあるが、当時の中国は英仏をはじめとする横暴なる干渉に唯々諾々と応じざるを得ない満州族(清朝)の衰退は、香港割譲や治外法権がまかり通る居留地、あるいは不平等条約など国権治世が風前の灯となっていた。

人々は衣食も足りず、悲惨と形容するくらい混沌とした状況にあった。それは易旗革命にある大陸の共生文化圏にある異民族とは異なり、白い色をした人間たちによる種の改良を含む、今までに味わったことが無いような危険な状態だった。

我国も同様な危機に直面した。
よく笑い話であるが、「近頃の若者は茶髪が好きで、色付きアイコンタクトまでしているが、日露戦争に負けていれば、今頃、爺さん婆さんまで金髪でマナコはブルーだ・・・」

昨今のチベットや新疆ウイグルの問題は、漢族との軋轢であり、漢族は常に大陸の中心にあるべき支配族であるという考えから起きる悶着である。
孫文とて、韃靼を駆逐して満州族を万里の長城以北に追い払う、これが辛亥革命の誓詞である。モンゴル族の元、満州族の清、みな北からやってきた。

「孫文は万里の長城以北は吾、関せず」とロシア革命家ゲルショニに伝え、ロシア革命の協力を断っている。

其の満州問題について桂太郎と東京駅の喫煙室で会談した折、「日本はこのまま人口が増えたら生きる道は何処に在るでしょう」と桂に問うている。
そしてこう続けた、「満州は日本の手でパラダイスを築いて欲しい。でもシャッポはシナ人だ。そして日本はロシアの南下を抑えて欲しい。いずれ許せるなら国境を撤廃して協力し、シナと日本が連携してアジアを興そう」、と経綸を語っている。

それが証拠に、孫文は其の約束を守るため、側近、山田純三郎、丁仁傑、蒋介石の三名を満州に派遣、しかも蒋介石は石岡という日本名で数回潜入して軍閥懐柔工作している。
顔を真っ赤にして「騙されました」と詫びる蒋介石の真摯な態度に打たれた、秋山真之、犬塚信太郎は「こんど何かあったら援助しよう」と応じている。



あの袁世凱に宛てた「二十一か条」の作成に関わったメンバーであり、秋山はその起草者といわれ、犬塚と山田は日本側で捺印している。

其の日中連携した辛亥革命だが、清朝が倒れとき孫文はハワイに滞在していた。
しかし成就したときの宣言文には満蒙も勢力圏に入っていたため、孫文は裏切ったという話が流れた。側近や山田は、「それは孫文の真意ではない、権を獲た人間の高揚した宣言であろう」と述べている。

「公」に戻るが、相対するのは「私」である。
佐藤慎一郎氏は、「私」は稲の「禾」を「ム」(囲む)、その囲んだもの「ム」を「ハ」(分ける)のが「公」と解説している。
つまり徴収した税を「私」することなく、「公」分配することが、゛おおやけ゛の意である。そしてその行動の要は、「公私の間」にあるという。

孫文の逸話だが、頭山満の隣家(かいづま邸)に匿われていた頃、官警の監視は厳しく、或る時、孫文の私物を探索したが柳コウリが一つだけだった。金目のものか重要書類があろうかと想像したが、本で埋め尽くされていた。

側近の山田純三郎は「そもそも孫さんは金に触れなかった。上海の我が家は革命本部のようだった。全世界の華僑から送られてくる資金や武器は我が家から乳母車や荷車で運んでいた」

側近として唯一臨終に立ち会った純三郎は遺言について語っている。
「慶玲さんに頼まれて遺言を見た。国民党と奥さんに宛てた二通あった。奥さんには、
゛上海の家を遺す ゛とあった。今まで泣きっ面していた重臣達は大笑いした。
「あんな多くの抵当に入った家を貰ったって・・」ということだった。




その遺言だが、゛奥さんに抱えられて署名した゛といっているが、そんな状態ではなかった。ただ慶玲さんと二人で臨終に立ち会った後、王精衛が「領袖が亡くなった。遺言を残さなければ・・」と起草して息子の孫化に「孫文」と書かせたものだ。
息子は「親爺の字は癖があって・・」と言いながら記していた。
二通だと思ったら翌日は三通になっていた。「ソビエト革命同志諸君・・」と始まるアノ遺書だ。そもそも、三通とも偽者だ。孫さんの遺書は「天下は公に為す」そして最後に揮毫した「亜細亜復興会」、そして最後の演説は神戸女子学校で行なった「大アジア・・」への思いだ。それしかない。


孫さんは素朴で,純情だった。僕はいつも叱られていた。そして良いアイディアが浮かぶと直ぐに実行にしようとする。それを孫さんの心変わり、ペテン、騙されたと云われてしまう。女性も好きだった。臨時大総統として北京に行く車中、玄洋社の末長節は大声で「孫さん万歳、染丸万歳」と、日の丸で孫さんを叩いて、孫文もそれに応じている。
染丸とは孫文が馴染みの女性である。
孫さんは革命の次は女性が好きだった、と山田は懐かしそうに回顧する。

頭山さんも犬養さんも、後藤さんも秋山さんも、また叔父良政、純三郎に共通していることは、「モノに着せず」だ。名利に囚われないことだ。それが異民族孫文の信頼関係の元になるものだ。
このような人物によって中国の近代化の魁となったのだ。
その心は、亜細亜の連帯に欠くことのできない人物像なのだ。
歴史問題、反日の軋轢、それを忘れた両国の人たちによって起される一過性の問題だ。
彼らとて「公私の間」に迷ったはずだ。家族、国益、しかしそれを超えた亜細亜安寧の経綸を唱えた孫文は、その迷いを振り払うきっかけになった。

「天下、公に為す」
孫文的人物の再来希求は民族を超えて湧き上がる、それが歴史の必然だろう。

(転載了)


(注)本サイトの記事紹介は、全てにおいて各出版元へ連絡し基本的ルール、要求または要望に従い掲載を行なっております。読者個々に於かれましても転載の際は、これらを十分に理解した上でのご判断と認識し、つきまして再度転載に関わる全ての責任を負いかねることを申し上げ致します。




#洪門 #洪門日本 #洪門小林 #東洋メーソン #洪門青蓮堂 #洪門天地会 #洪門宗家 #洪門長房 #天地会