自衛隊「海外派遣」、私たちが刷り込まれてきた二つのウソ〜ゼロからわかるPKOの真実
20年以上ずっと憲法違反

現代ビジネスより

(以下転載)
〔photo〕gettyimages

文/伊勢﨑 賢治

PKOに対する日本人の体感のズレ

刷り込み、というのは恐ろしい。

連日、メディアの取材を受けているが、ほとんどの記者が、何のためらいもない。


「自衛隊が送られるのはPKO(国連平和維持"活動")で、PKF(国連平和維持"軍")ではないんですから…云々」と。

保守系メディアではなく、リベラル系のが、である。

PKO(国連平和維持"活動")は、例えばある国で内戦がおこり、このまま放っておけない、国連としてみんなで何とかしなきゃ、ということで、安保理が全国連加盟国に参加を呼びかけ、その内戦に介入する活動の総称である。

国連というのはUnited Nations ("連合国")。第二次大戦の戦勝5大国(米露中英仏)が安保理常任理事国になり、日独伊のような不埒な侵略者を二度と出さないように、加盟国全ての「武力の行使」を統制しようとするシステムである。

一加盟国の国民を脅かす侵略者が現れたら安保理の号令の下、そいつを全員で叩きのめす。これが「集団安全保障」という考え方だ。

でも、「内戦」は一加盟国内の内輪揉めである。つまり、国民の安全を脅かすのは侵略者じゃなくて、その国内の反乱勢力。でも、放っておけない。どうするか? ここで編み出されたのがPKOである。

国連憲章で軍事介入を規定するのは第七章の「強制措置」しかない。これは当事者の同意なくできる措置。つまり国連としての最終手段である。「内輪揉め」にこれを使うのは、ちょっと無理がある。なぜなら、内政不干渉の原則があるからだ。

もし、国連に加盟したら干渉するもんね、ということだったら、国連創生期に加盟国を増やすことは困難だったろうし、そもそもチベット問題のように安保理常任理事国だって脛(すね)に傷をもっている。

だから、内戦には、強制措置としての軍事介入ではなく、その内戦当事者の同意の上での軍事介入しかない。というわけで、PKOは、同意をベースとする平和的介入手段を謳う第六章との間をとって、苦し紛れに"六章半"と言われる。

同意があろうがなかろうがPKOは軍事介入である。だから、Peace-Keeping ‘Operation’。「作戦」なんである。

もし国連として一加盟国の内輪揉めに入り込んで(それも武装して)、もし、その武力を使う羽目になったら、それも、使う相手がその政府だったら……。つまり、国連が、侵略者でもない一加盟国と戦争する羽目になったら……。でも、介入しなければならない。そのギリギリの選択がPKOという軍事作戦である。

でも、日本ではこれを"活動"と訳した。なぜか。9条の国の自衛隊が参加するのが軍事作戦じゃ、困るからである。

PKOに対する、歴代政府によって恣意的に作られた日本人の体感のズレは、まず、ここから始まる。

自衛隊はまぎれもなく「PKFの工兵部隊」として活動してきた

次にPKF(国連平和維持"軍")である。

一つのPKOを、現場の人間は「ミッション」と呼ぶ。「ミッション・インポシブル」のミッションの感覚である。PKOミッションは、軍事部門であるPKFを中心に、大きく言って4つの部門からなる。

①PKF(国連平和維持軍)
②国連軍事監視団
③国連文民警察
④民生部門

①PKFは、文字通り「部隊」である。主体は戦闘を任務とする歩兵部隊。装甲車や戦車の機甲部隊がつくこともある。くわえて、どんなPKOミッションにも必ずある工兵部隊。こちらは軍事作戦に必須の戦略道路網、通信等のインフラの構築、維持が任務になる。

PKOは軍事作戦であるから、PKFは、他の部門と比しても、人数的に突出して多い。1万人を超え、派遣国も20を超えるものもあり、安保理が任命する最高司令官の下、一つの統合司令部の"指揮下"に置かれるが、まあ、寄り合い所帯の多国籍軍である。

はっきり言おう。歴代の自衛隊の施設部隊は、PKFの工兵部隊であり、現場では、ずっとその扱いであった。

じゃなかったら、①~④のどこに入れ込むのか。自衛隊だけ、単独行動の特殊ゲリラ部隊か。

同じPKOミッションの中でも、①のPKFと②③④には決定的な違いがある。PKFの単位は「国」。それ以外の部門は「個人」。

当時の筆者のような④民生部門は当たり前だが、現役の軍人、警察官で構成される②国連軍事監視団、③国連文民警察は、「国連職員」として扱われる。つまり、個人として国連のペイロール(給与簿)に載り、給料が支払われる。

これに対して①PKFは、単なる部隊の「数」として、国連が、各派遣国に、償還金を支払う。発展途上国にとっては、PKFは重要な外貨稼ぎの機会を提供してきた。発展途上国ではないが、日本政府にも、この国連償還金が支払われてきた。

自衛隊は「武力の行使」と一体化しない、という大ウソ

過日、数あるPKOミッションの中で、最も過酷な現場と言われるコンゴ民主共和国に行ってきた。南スーダンの隣である。

PKFの最高司令官はブラジル陸軍のサントスクルズ中将。PKFトップを務めるのは2回目。ここの前の任地はハイチ。そう。自衛隊が派遣されていた。

コンゴ民主共和国東部最前線にて、PKF最高司令官サントスクルズ中将と筆者

最前線の部隊を訪問する道中の立ち話で、「ハイチでは本当によくやってくれた」と自衛隊の勤勉さを称賛するサントスクルズに、「将軍。知ってる? 日本じゃ、自衛隊の指揮権は、東京にあるって言っていたんだよ」と言うと、「ざけんな」と即座の反応。

本当に、ふざけるな、である。

自衛隊はPKFであるだけでなく、PKFという多国籍軍としての「武力の行使」に"一体化"して活動する。当たり前である、一体化しなかったら、多国籍軍としてのPKFは成り立たない。

しかし、歴代の政府は、自衛隊の活動は「武力の行使」と"一体化"しないという"いわゆる"一体化論(政府は外向けに英訳でthe theory of so-called "Ittaika with the use of force"とする)を編み出し、9条と抵触しないという言い訳としてきた。

この一体化論の基礎となるのが、これもまたso-calledが付く「後方支援」「非戦闘地域」という、日本の法議論のためにつくられた、戦場における全く弾が飛んでこない仮想空間である。

自衛隊派遣に反対するリベラル勢力も、特段の検証もなく無批判にこれを受け入れ、右・左の自衛隊論争の"土俵"を築いてきた。

厳密に見てみよう。

PKFのような多国籍軍と、一国の軍隊の行動には、決定的な違いがある。

言うまでもなく、軍隊とは、殺傷行為の如何が、人権・刑事の立場からではなく、軍規の立場から統制される職能集団である。通常、軍規・命令違反は、厳罰に処される。軍規、そして、その軍法会議の管轄権は、その軍だけに限られる。

国連は、いまだ地球政府になりえていないから、国連軍法会議なるものは存在しない。多国籍軍の活動で起こる軍事的な過失を、ある一派遣国の軍法会議で裁いたら、それは重大な内政干渉になってしまう。

(軍事法典を持たない自衛隊が、もしPKFの現場で軍事的な過失を犯したら? これは、日本に別の深刻な問題を投げかけるが、詳しくは拙著『新国防論 9条もアメリカも日本を守れない』を参照願いたい。)

かりにPKFを構成するある一派遣国の政府が、なんらかの理由で撤退を決定した時、PKF統合司令部に、それを覆す政治力があるか?

その撤退を「敵前逃亡」だと謗(そし)っても、統合司令部に、それを止める力はない。多国籍軍とは、基本的に有志連合。自分勝手な撤退を律するのは、せいぜい外交的な信用の失墜、ぐらいである。

この意味で、自衛隊は、多国籍軍として一体化"しない"。でも、"しない"のは、9条を戴く自衛隊だけでなく、すべての派遣国の部隊も、なのである。

"しない"のは、この一点だけ。あとは、すべて一体化"する"。

自衛隊は敵からどう見えるか

PKOミッションにあたって国連は、それが活動を行う当該受け入れ国と、一括して「地位協定」を結ぶ。基本的に、PKFの公務中に発生する軍事的な過失の裁判権を、派遣国の軍法に与える、つまり、受け入れ国の司法による訴追免除の特権を、派遣国の部隊に与える。

戦後の日本が、朝鮮半島動乱を機に"受け入れ国"として昭和29年に署名した「日本国における国際連合の軍隊の地位に関する協定 (略称)国連軍地位協定」と同様である。

つまり、PKFの統合司令部は、自らが受け入れ国と一括して締結した地位協定を担保に、各派遣国部隊に対して「特権をやるから言うことを訊け」と、指揮権を行使するのである。自衛隊も例外ではなく、この意味で、一体化"する"。

コンゴで活動するPKF(筆者撮影)

極め付けは、戦時国際法・国際人道法である。

同法は、国連が出来る前からある慣習法の積み重ねである。国連憲章は、地球上で起こる「武力の行使」を3つの言い訳(個別的自衛権、集団的自衛権、それとPKFがそうである集団安全保障)に制限するが、それがいったん行使されれば、戦時国際法・国際人道法が統制する世界になる。

戦時国際法・人道法とは、交戦主体、つまり敵・味方の間で人道的に殺し合えという、いわば「戦争の流儀」である。そのなかで一番やっちゃいけないのが民間人の殺傷。だから、敵から"どう見えるか"が、重要になる。

例えば、自衛隊が施設部隊として参加するPKF多国籍軍のうちのブラジル歩兵部隊が敵と交戦したとしよう。その場合、敵から見た交戦主体は、そのブラジル部隊だけか、それともPKF全体か。戦時国際法・人道法は、後者の考えをとる。

当たり前だ。自衛隊員だけ、ヘルメットに「9」と描いておくか。描いたとしても、敵に、その意味をどう理解させるのか。その意味で、国際法上の違反行為となるのは、赤十字マークだけである。

つまり、施設部隊として送られた自衛隊が、基地に閉じこもり、まったく何もしなくても、他のPKFの部隊が交戦すれば、自衛隊も自動的に交戦主体として見なされる。国際法から見れば、自衛隊は、じっとしていても、PKO参加の政治決定の時点で、静的に、「武力の行使」と一体化"する"。

以上、「自衛隊が送られるのはPKOであり、PKFでない」がウソだけでなく、"いわゆる"一体化論もウソである。

ウソで固められた土俵の上で

つまり、自衛隊の派遣は、「武力の行使」と「交戦権」を禁じる9条に、20年以上前に自衛隊がカンボジアPKOに送られてた時から、ずぅーと、違反しているのだ。

こんな、現場に行けば(行っても自衛隊の追っかけばかりやっていなければ)簡単にわかることを、メディアが、それも派遣反対のメディアが、世論が、リベラル政治勢力が、検証を怠ってきた。

本当に、ふざけるな、なのである。

日本国民の、自衛隊へのアレルギーを取るために、PKOという"崇高"な目的を使い続けてきた歴代自民党政権の戦略にブレは無い。9条と抵触させないための見え透いた刷り込みは、着実に成果を上げ、自衛隊への好感度は国民にしっかり定着した。

安倍政権の今、野党/与党の対立の政局は、依然として、その刷り込まれたウソで固められた土俵の上に、繰り広げられている。安倍政権打倒を叫ぶ野党結集にも、その土俵を土台からひっくり返すことを結集の結節点にする声は、皆無だ。ただ、ABEの悪魔化と憎悪があるのみ。

いつまで、これを続けるのか。



伊勢﨑 賢治(いせざき・けんじ)
1957年生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了。インド国立ボンベイ大学大学院に留学中、現地スラム街の住民運動に関わる。2000年3月 より、国連東チモール暫定行政機構上級民政官として、現地コバリマ県の知事を務める。2001年6月より、国連シエラレオネ派遺団の武装解除部長として、 武装勢力から武器を取り上げる。2003年2月からは、日本政府特別顧問として、アフガニスタンでの武装解除を担当。現在、東京外国語大学教授。プロのト ランペッターとしても活動中。著書に『武装解除 紛争屋が見た世界』、『本当の戦争の話をしよう』などがある。



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