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二月から不定期ではありますが、
わたくし個人の自由提言もblogへ掲載しています。


目に止まった記事を見て、
おもしろい見方もあると思いました。


「右傾化」は「左傾化」とともに。


この記事での皆さんのコメントを見て、時代は新世紀へ着々と進んでいると感じましたね。

「右翼」と「左翼」の思想は歴史の流れの中で生まれた「行動基準」の一つに思う。一見して双方は歩み寄れることができないように感じるも、その大義は「国家を良くしていく」「世界を良くしていく」などのを基本にしたものが主観にあり、思想手法の違いが活動に反映しているのでしょうか。

1970年代あたりからグローバリゼーションというキーワードが現れ、やがて世界は邁進しグローバル化され、しかしそれは弱肉強食を生産するものに履き間違えられ「競争」は「格差」を自然と生み出すものとなり、国境なき地球市民(コスモポリタン)としての、真のグローバルとは程遠いものだと感じています。

世界は、色々なところで色々な形により《株式会社化》され、世界企業(ワールドカンパニー)が資本経済を牛耳り、社会システムの貧富を生み出し続けていることは、これに気付き始めた人びとが増えております。

そして、日本国へ目を向けますと、戦後を振り返り、米国から自虐史論を叩き込まれた(これが必ず悪いかと言うとそうでもない。歴史なんぞは常に勝者によって書き換えられるもの)日本民族はたしかに徐々にではあるが、着実に目覚め始めてきています。しかし、まだまだ時間がかかるようです。

そんな中、唱えるもので国の論を二部するような展開中だが、それは決して戦前回帰し、さきの大戦が自衛だったとは言えども、戦うことを前提としたものではなく、「通常国家」を再形成する話でなければならないと思います。

軍を持つことは、
残念ながらまだ不可欠です。
これは対中?対北?
はて、対どこでしょう。


愛国というキーワードの先に、
なにを見出すのかが実は大切である。


ならば、永世中立国のようになればいいと声が聞こえてきそうですが、そんな生っちょろいもんでもない、のであります。

己れの自国の繁栄だけはなく、世界各国または民衆も含めたともどもの共存共栄することが最大基準です。そうであれば軍を持つ論すら小さなことになります。真のリーダー大国とはそういうものではないだろうか。


「一人でも多くの敵を作ることより、一人でも多くの友を作ること。」


記事への感想は、この新世紀への進化に「右翼」も「左翼」も国家形成において大事な思想であり、ならばお互いに手を携え、国家を良くしていくことが大事であると切に思います。



「競争」は「協和」へ
これが新世紀が求めるものであると感じます。












つづく