小林です。
以前、ブログで洪門(ほんめん)の標語にあたる《順天行道(じゅんてんこうどう)》について紹介をさせて頂きましたが、本日はもう一つ《風調雨順(ふうちょううじゅん)》を見てみたいと思います。
風調雨順(ふうちょううじゅん)には、「あらゆる全ての事が上手く進むように」 の意味があります。
「調」は、調和・均等を意味する。
「順」は、協和・推進を意味する。
これの出処は唐の時代へ遡ります。
旧唐書、禮儀志一 より
《六韜》から
「武王伐紂,雪深丈餘……既而克殷,風凋雨順。」
旧唐書、后妃傳上第五十一巻より
賢妃徐 氏曰く
「自貞觀已來,二十有二載,風調雨順,年登歲稔,人無水旱之弊,國無饑謹之災。」
に出ています。

古来より、農耕国の人びとは五穀豊穣を願ったことは言うまでもありません。そこで風の神様や雨の神様へお願いをする事となる。祭事を開き豊作を願い、天の意思を聞くため祈祷師が生まれ、対価としての生け贄の風習もここから生まれて行きます。風は季節をもたらしてくれて、雨は大地の潤いをもたらしてくれます。
風の神様は風伯(ふうはく)、遠い昔「咤」(た)と呼びこれはサンスクリット語から由来し、意味は舌打ちする、しかる、とがめるとありますが、風が持つ要素を言葉にしたのです。さらに別名「長育」と呼び、季節をもたらし大地の生物を育むという意味もあります。

雨の神様は、昔の中国では「雨師」(うし)と呼びます。カナン神話では「バアル」と呼び、ヒンズー教では「インドラ」、日本では「スサノオ」と呼びます。農作物は水が無ければ出来ませんので、それぞれの地域に呼び名が変わり、占星術の二十八宿の中では西方白虎に属す「畢星」(ひっしゅく)とされています。
ちなみに、この風と雨の神様は黄帝を苦しめた神としている。(年代は紀元前3000年から2500年頃。この時代は神獣や霊獣を交えた様々な大きな戦いがおこったとされており、神話の形成には日本の古事記などと同様に神話の下敷きとなる様々な部族同士の衝突が起こったのではないかと考えられています。)()はネット切り抜き
(参考サイト)
アジアの巨大秘密結社 洪門(ほんめん)《順天行道とは》
この他に、風調雨順をそれぞれ神様とする場合もあります。由来を中国殷商時代の将軍とし、余りの強さに魔家四将(まかししょう)と呼ばれた。
風の将軍は、南天の神とされ手に剣(つるぎ)を持つ。 増長天王とし民衆へ事を広め、善、仏法を広める神。鳩槃茶(くばんだ)薜荔多(へいれいた)などを配下に置く。

調の将軍は、東天の神とされ手に琵琶(びわ)を持つ。持国天王としまたは民衆を守り、国土を守る神。乾闥婆(げんだつば)、キンナラ、毘舍闍(びしゃじゃ)などを配下に置く。
雨の将軍は、北天の神とされ手に傘を持つ。多聞天王とし様々な事に精通し福、徳、法を聞く神、羅刹、夜叉、阿修羅などを配下に置く。
順の将軍は、西天の神様とされ手に蛇を持つ。広目天王とし澄んだ目で世の中の動静を見る神、蛇は龍とも目され、龍王、富単那(ふたんな)などを配下に置く。
この将軍らを方角の神様として崇め、のちに人びとはこれを「四天王」と呼ぶようになりました。
風調雨順(ふうちょううじゅん)とは、側面から見ると言葉は奥深く、人々の信仰や世相または、希望や願いなどが込められた素晴らしい四字であることが理解できます。
(参考サイト)
つづく