知道自己

小林です。
「知道自己」(ちどうじこ)とは、“ 己れの道を自ずからが知る ”と言う意味です。人は己れの道を知る為に、様々な組織団体に加入したり、啓発セミナーや研修セミナーへ参加したり、又は宗教の門を叩きます。善良な所なら未だしも、高額な代償が生じる事が多々ありますね。


〈不可能の中の可能〉

先ず、世は物事を理解する事が出来ないとしても、理解出来る道を歩めない事はありません。では“ 不可能の中の可能 ”とは如何なるものでしょうか。

【1+1=1】、【1+2=1】、【3+4=1】、【5+7=1】、【6+18=1】等々。まずこの式を見ると、人の脳は恐らく不可能と反応する事でしょう。

いいでしょう。ですが考え方を変えて見たら?⋯、数字に適当な名前を入れて見ると不可能な「=1」が成立します。

梨の1個の半分+梨の1個の半分=1個の梨、1ヶ月+2ヶ月=1四半期、3日+4日=1週間、5ヶ月+7ヶ月=1年、6時間+18時間=1日。

こうして見ると考え方や見方で「=1」になる事がわかります。


人生において、“ 常に選択の連続 ”と言っても過言ではない、の様に、各局面の結果は考え方や見方で全てが決まるものなのです。思考を捻ってみると、多くの景色が見えたり、見方が出来たり、不可能と思われた事が可能になったりします。
   
この 1+1=1、1+2=1、3+4=1、5+7=1、6+18=1  を当初私たちが習ってきた計算の方法では、問題の解答は成立不可能でした。ですが、モノの見方を広げてあげると成立するのです。

学習は私たちに豊富な知識を与えてくれます。けれども、学習後の応用が効かなければその学習は答えを見つけ出す阻害になり兼ねない。

では、最初に言った「知道自己」(己れの道を自ずからが知る)に繋がるのでしょうか?

考え方や見方で全てが変化出来る様に、応用は心や思考に新しい創造を与えてくれます。不可能も可能に出来ます。外から見た自分と、内から見た自分という両者作ってみて下さい。悟りを開くとは如何なる状況でもまずは己れからなのです。





上の如く下も然り、内の如く外も然り。あなたには明日は見えていますか?






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                            つづく