小林です。
前回書いた記事で理解が得られなかった方がいるとか。特に理解を得たいと思い書いている訳ではないのですが。


(文中より)
「利」を実は己れの欲望を満たす事のみのものではなく、万人へ対し幸福を与えるものと説いています。(先義後利 http://acfreemasons3821.blog.jp/archives/74556838.html

確かに、辞書を引きますと、道義を優先させ、利益を後回しにすること。▽「義」は人として当然あるべき道の意。「利」は利益のこと。「義を先にして利を後にす」と訓読する。と書いてあります。

現代社会において、個々人が利を求める事は生活の一部であり、ごく自然な事でもあります。人間であるが故に利(欲)は人間進化の過程で必要なものです。最も言いますと、これが無かったら人間界の発展はここまで成し得て来なかったでしょう。これはわたくしも否定はしません。

ただ、それを求め過ぎると「怨み(うらみ)」を作ってしまうものです。

漢文にこんな文章が《放於利 而行多怨訳せば、利に放(よって行(ゆ)けば怨み多し。


どうして、怨みを買ってしまうのか?


それは、単に利の真髄を知らないからです。


「利」とは「義」から生まれてくるものです。

根本に「義」が無ければ正しき利は生まれません。義に色々な解釈がありましょう、しかしこの場合の義とは相互扶助や兄弟気質です。世のために己れが在る、皆のために己れが在る。この精神を持っていれば、利は大義と成り万人へ幸福をもたらす事でしょう。

ところが今は、相互扶助は相互利用に変わっています。履き違えた人類の進化は、我々に弱肉強食の社会を生み出した。そして先に利を欲しがる人は隠そうとしても、その行動や言動に出てしまうものです。





今一度、原点に立ち返って「利」を理解しようではありませんか。







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つづく