小林です。
質問を受けましたが、わたくしの私論を申し出しました。

Q. 人の魂や本質の中に変革を見たいのです。何か良い方法がないものでしょうか?


わたくしの私感を申し上げたいと思います。

まず、人の魂や本質を変えることは、およそ不可能です。変える為には《本人の気付き》や《自己覚醒》しかありません。


キーワードは《自らが》です。


周囲から悟られたり、または教育されていき、本人が物事の分別が分かる様になることは《有る程度》できるかもしれません。ですが、これはあくまでも表面的なものであり、内面までは変えることはありません。

なぜかと申し上げますと、いかに周りから言われても、いかに周りから教育をされていても本人自身が《飲み込み》が出来なければ、ただのありがた迷惑であったり、または口うるさい、共感できない連中と見られて終いなのです。

すなわち、魂や本質は《自らが》理解や悟ることがない限り、内面は変わらないのです。

ここに、経験、鍛錬、訓練、修行、学習、勉強などの人としての生きる意味、人として生まれた意義が存在すると思います。

自己研鑽された磨かれた精神の自分を、回りに与えて、輪(わ)を広げて一人また一人と集まり、やがて共感する環(わ)が集団化し、さらにこれが大きな《和》になると信じています。

その中で、《徳を積む》と言う言葉があらわすように、天徳・地徳・人徳・商徳・業徳の五徳があって、人生のなかでいかに一つ一つを経験し、着実に成長するには必要な飲み込みが不可欠なのです。

そんな中、初心を忘れずや相手の立場に立って物事を考えなさいと言う人たちがたくさんいます。異論は有りましょうが、言葉の請け負いにしては浅識だと私は感じます。

初心を忘れないならば、失敗した都度ゼロ起点の発車では成長度は逆に遅くなり、派生的な思考がまた振り出しへ戻ります。

ならば、失敗したときは《志しを忘れず、初心を貫け!》が本質ではないでしょうか。失敗したならば、失敗した内容を理解し精査し自己啓発すべきです。

また、相手の立場に立って物事を考えなさいというのもいい意味ばかりではないと思います。

人は、自分自身がその場に、またはその経験をしない限り、相手の事なんて100パーセントわからないものです。喜び、怒り、哀しみ、楽しみは共感が出来ても、それは想像で考え出されたものです。真摯に対応したいのならば、その場へ行け!その身に成れ!が正解ではないでしょうか。

最後に、救える魂と救えない魂があるとするならば、これはその魂の《自らが》選ぶものであり、共感できない限り、また見出せない限り《輪、環、和》に入ることはないでしょう。



以上に対して、異論もあるかと思いますが、少なくともわたくしはそう経験してカラダで弾き出した答えです。この答えが変わる時が来るかもしれません。しかし、ゼロ発車の振り出しには戻らないと思いますね。





あなたはどんな変革を求めてますか?






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つづく





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