⑴ 修行(しゅぎょう、異音:すぎょう)は、仏教における精神の鍛錬に関する用語の一つ。
財産・名誉・性欲といった人間的な欲望(相対的幸福)から解放され、生きていること自体に満足感を得られる状態(絶対的幸福)を追求することを指す。
この仏教用語を元に、古代インド宗教における同質の行為や、他の宗教における精神鍛錬にも、固有の用語が無い場合にはこの語が用いられる(例:イスラーム修行)。 また一般的には、世俗的な習練、習い修めを表す語である「修業」と混同されて呼ばれることも少なくない。
⑵ 「修行」が、上述のとおり「宗教的な行」すなわち、本質的に「仏の悟りを求めて実践すること」を指しているのに対し、「修業」は「世間的な学問や技芸などを習い修めること」や「職業的な生業(なりわい)を習得すること」を指す語であり、明確な違いがある。
(以上)
運命は性格で決まる。その運命は修行で変えられる。
いわゆる修行はどんな種類が?
実に難しいものなので、かなり噛み砕いたものを記します。
まず、体に【修(しゅう、おさめる)】ものとして五行が潜在的に存在します。
《金》は、弁を磨く事、心に響く言葉が言える事、敬語をよく知る事等々。
《木》は、本性を見直す事を知る、己れを見つめ直す事を知る、善行を積む事を知る等々。
《水》は、涵養を知る事、道徳を知る事、本体修為を知る事等々。
《火》は、穏やかさを知る事、温和を知る事、親切さを知る事等々。
《土》は、器量を磨く事、寛大さを知る事、相手を認める事を知る等々。
【行(ぎょう、おこない)】、すなわち心身を知り目標を定める。行動を持って行為を現す。
親に孝行し、老人を敬う。祖先を感謝し、他人を大切に。善を知り、徳を積む。
善徳を所持する事は、品徳(品性)を磨かないとなりませんが、極めるのは本当に難しいです。ちょっとした心の隙に魔はやってきます。
あなたはどんな修行を積みますか?
つづく