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【人格者ってどんな人?】
http://news.mixi.jp/view_news.pl?share_from=view_news&media_id=116
&from=twitter&_consumer_from=iphone.web
_browser&id=2779482
(文転載)
人格者ってどんな人?
素晴らしい人のことを「人格者」と呼ぶことがありますが、人格者とはどのような人を言うのでしょうか。教えて!gooにこんな質問が寄せられています。

「人格者の人格とは、どのような人格ですか?」

質問者は「どのような人格の人を人格者と呼ぶのでしょうか?根拠や理由等も教えて下さい」と、回答を募っています。

■人格者の定義とは

「『人格者』=『優れた人格の持ち主』です。では、『優れた人格』とは何か?という話になるわけですが、これは客観というよりは主観になりますね。多くの場合、『人格者』という言葉における『人格』は、道徳観、およびそれに基づく言動を指します。(中略)…無理矢理、客観的(?)な定義をするならば、『大半の人がその人の道徳観・言動は優れている、と認めている人』となると考えられます」(sanoriさん)

sanoriさんが思う人格者とは、誰もが認めるような道徳観を持ち、言動が優れた人が人格者と回答しています。

「人格者とはあやまちをすっかり認めて、一から始めることができる人です。(中略)…『互いの信頼関係を築いていけるか』これが、人格もしくは、互いの人格関係の問題であり課題であると考えます」(noname#80116さん)

確かに、信頼関係を築けない人は人格者とは呼べないかもしれません。またshinsho4さんは、以下のように回答しています。

「人格者:自分に厳しく、他人には優しい人。
理由・根拠:地球上の全員が上のような人ばかりですと、平和で大変住みやすい世の中になります。しかし、『自分に厳しく、他人には優しく』ほど難しいことはありません」(shinsho4さん)

「一言で言うと、他を優先して生かすを基本スタンスにしている人のことでないでしょうか。なにか特定の事柄に優れているからといって人格者とは言えないでしょうし、逆に、知能、判断力などに劣っていたとしても人格者といえる場合があると思います。そうすると、緊急時においても他者の利益を第一として行動している人」(bananasandさん)

自分に厳しく他人に優しい人は、人格者に相応しいと言えそうです。

人格者の定義はさまざまですが、寄せられた回答を参考にすると、ポイントは「行動や言動が、多くの人から支持されている」ことにありそうです。自分に厳しく、そして他者を思いやる心を持つことで、人格者に近づけるかもしれません。

(転載了)




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たまたまこんな記事を見かけましたね。「人格者とはいったいどんな人間か?」皆さんから寄せられた意見回答を載せてありましたね。

周りの人たちに親しみ感を持たせ、統率力もあって信頼も出来、常に頼れる存在…etc。上げたらいっぱい出てきますが、察するにつまりは【徳】のある方のことでしょう。


【徳】
(Wikipediaより)
徳(とく、希: ἀρετή アレテー, 羅: virtūs, 英: virtue)は、人間の持つ気質や能力に、社会性や道徳性が発揮されたものである。

徳は卓越性、有能性で、それを所持する人がそのことによって特記されるものである。人間に備わって初めて、徳は善き特質となる。人間にとって徳とは均整のとれた精神の在り方を指すものである。これは天分、社会的経験や道徳的訓練によって獲得し、善き人間の特質となる。徳を備えた人間は他の人間からの信頼や尊敬を獲得しながら、人間関係の構築や組織の運営を進めることができる。徳は人間性を構成する多様な精神要素から成り立っており、気品、意志、温情、理性、忠誠、勇気、名誉、誠実、自信、謙虚、健康、楽天主義などが個々の徳目と位置付けることができる。

(以下参照=http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3





◇松下幸之助の言葉 82
http://konosuke-matsushita.com/column/cat71/post-109.php

【人間として一番尊いものは徳である】

君が「徳が大事である。何とかして徳を高めたい」ということを考えれば、もうそのことが徳の道に入っていると言えます。「徳というものはこういうものだ。こんなふうにやりなさい」「なら、そうします」というようなものとは違う。もっとむずかしい複雑なものです。自分で悟るしかない。その悟る過程としてこういう話をかわすことはいいわけです。「お互い徳を高め合おう。しかし、徳ってどんなもんだろう」「さあ、どんなもんかな」というところから始まっていく。人間として一番尊いものは徳である。だから、徳を高めなくてはいかん、と。技術は教えることができるし、習うこともできる。けれども、徳は教えることも習うこともできない。自分で悟るしかない。
『松下政経塾塾長講話録』(1981)

◇解説◇
「徳」とはなにか。今回の言葉で松下幸之助は、個人の「徳」について言及していますが、国家においても「徳」を高めることが大事と説いていました。では、国家の「徳」とはなにか。国家のリーダーになることを目指す政経塾生には、いずれ答えをださなければいけない問いでしょう。

幸之助はそれを、“国民の良識の程度、民度の高さ”だと考えました。幸之助にとっては、国の問題も、結局は個人に帰結するものだったのです。それではいま一度、「徳」とはなにか。この問いに答えるためのヒントが、『若さに贈る』という著書に記されています。

“実力のある、徳をそなえた人に対しては、何か困ったことがあれば、一つあの人の意見をきいてみようということで、相談にくる人も少なくないと思います”。これはつまり、困ったときに自然と相談にいきたくなる人が徳のある人である、ということでしょう。直観的かつ体験的に頷ける指摘ではないでしょうか。そしてそのように具体的に考えてみると、さまざまな答えがでてきそうです。どの人にも真摯に向きあう人。信頼され、その信頼に応える力のある人。他人に誠をつくす人間力を備えている人……。

ちなみに「人間として一番尊いものは徳である」とまでいった幸之助には、一生涯の研究テーマがありました。“人間とはなにか”ということです。それはPHP研究の根本課題でもあり、その研究はこうした「徳」とはなにかといったような、人間本来の姿を素直に把握していくことからはじめられたものでした。そして「徳」というものを自ら悟り、高めていくためには、幸之助が終生目標とした“素直な心をもつ”ことが欠かせない要件となるのです。


◇学び◇

徳を高めるには、自分で悟るしかない。







《講老箚記 》より
–東洋思想・哲学・文化の研究より

(こちらのブログはなかなか面白く勉強になります。礼)


■「徳」は「道」が人間に発したもの

私が「徳」について、なんとなく輪郭を感じたのは以下の一節です。

「徳」とは「宇宙生命より得たるもの」をいうので、人間はもちろん一切のものは「徳」のためにある。「徳」は「得」であります。それには種々あって、欲もあれば良心もある。すべてを含んで「徳」というのであるが、その得た本質なるものを特に「徳」という。

そして、我々の「徳」の発生する本源、己れを包容し超越している大生命を「道」という。だから要するに「道」とは、これによって宇宙・人生が存在し、活動している所以のもの、これなくして宇宙も人生も存在することができない、その本質的なものが「道」で、それが人間に発して「徳」となる。
(安岡正篤 『人物を創る』より抜粋)

つまり、根本、大本は自然である。「徳」というと、何か人為的に生み出された形式であるように思われがちですが、決してそういうものではない。自然の運行(「道」)があり、それが人間に発して「徳」である。




◆【夢実現のナビゲーター便り】
「損して得とれ」
「損して徳とれ」
http://www.keikakuhiroba.net/column/mmplan/navigator/post_43.html

損して得とれ、と言われますが、昔は、損して「徳」とれ、という意味だったそうです。
(以下サイトを参照)





◆大紀元より
http://www.epochtimes.jp/jp/2008/08/
html/d37045.html
2014-06-11-10-21-34


日本でもお馴染みの「徳」という文字は、中国語の「德」(“心”の上に、“一”がある)に由来する。道徳、徳の高い人、というようによく使われる。「德」のぎょうにんべん「彳」は、歩行、脚という象形文字に由来する。人の正しい歩み、行いなどの意味合いを含む。

 右側は、4つの文字“十目一心”からなり、“一”は、陰陽の働きによって世界が分けられ、宇宙が創造される前の混沌としたひとつの世界を表している。

 “十”は、“完全、完璧”という意味合いを持ち、また完璧な生命として“神”を表す。従って、“十目一心”は、“神が人の心を見ている”という意味を内包している。

 古代中国では、人々の間で「徳を積む」という言い方があった。道徳を守り、行いが善い人は「徳」が高く、それが即ち死後の行き先を決めるという考え方である。人間の一生の中で、その行いがよければ、多くの徳を積み、来世はよい人生が待っているが、その行いが悪ければ来世はつらい人生になると信じられていた。






みていますと実に難しいですね。私自身はさらに「義」を付け加えたいのですが、
【人格者=徳=義】
、これではますます人格者というものが遠くなる気がします。笑

上記に「徳を高めるには、自分で悟るしかない」とありますがこれはお金では買えないものを意味し、「品性・品格」もまた「品性・品格はお金では買えない、養うものである」とあります。

2014-06-11-10-44-21


【品性】
①、多く、道徳的な基準でみたときの人柄、人品、人格。
「人品」
・人柄、人格、品性。「人品骨柄卑しからず」
・はたから見た、その人の顔立ち、物腰、服装、風采。

②、すぐれた人柄であること。

【品格】
①、人や物に感じられる気品さ、上品さ、品位。
「品位」
人に備わる清廉高尚な人格の特質やその位置。「品位を保つ」


総合しますと、徳または品格は教養であり、道徳であり、気量の大きさであり、器の深さであり、さらに見識の広さであり、作法の体現でもあると理解できます。お金では買えないとは、上等な衣服着ても、高級なブランド品を付けても、高価な着飾りしていても、良い革靴を履いていても「風格」はある程度醸し出せますが、恰好付けでは成しえない徳を積み自然体に感化した立ち振る舞いの「品格」には及ばずということです。

難しいです。ですがそれになれなくても、成ろうとする努力はするものです。


例えば、二人いるとします。
良い身なりで小綺麗に立っています。
かたやご年輩の男性…
かたや若年の男性…

金時計を腕に巻きどちらが本物の24kの腕時計かと聞かれ、たいていの方がご年輩の男性を指す。これは一種の年齢を重ね生まれた(徳を積んだ)「品格」ではないでしょうか。

いまの世の中は、幸せになりたいイコールお金持ちになることが正しいと思う若者らがほとんどです。確かにそのとおりです。しかしこれは「表面的」なものです。


誰かは言う。
「欧米から輸入した議会制民主主義制度や、そこから派生した市場原理主義、金銭至上主義に乗っ取られ、人間が本来持つ情理や人生の美学や哲学を破壊されたからである。
「義」という言葉を持たない国の文化文明に、「義」の民族性が侵食された姿が、現在の日本社会であり日本国民の姿なのだ。」

(ブログ『義』参照、http://akimine-hm1283.blog.jp/archives/7886211.html

この事を理解すればおそらく自ずと「品格は養うもの」の意味が分かり、「徳」とは如何なるものか?、また「人格者」に必要なものとはなにか?、を陰天から差し込む一寸の光りのように気付くことがやがて来ると思います。

よく言う言葉ですが、
【生活は質素に、仕事は贅沢に】
人は2度結婚をすると考えています。一度目は老いを感じるまで社会に奉仕する伴侶『仕事』、二度目は生涯生きて喜怒哀楽を供にする伴侶『愛する人』。


私論ですが、人間は生まれてくるとき手ぶらです。墓に入るときももちろん手ぶらです。生きている間にさまざまな物を手にします。
悪いものも良いものも。
もちろん望むものと望まないものも持つでしょう。
ならば『一番良いものを』と人間は持ちたがりましょう。
大金持ちになったでもいい、権利者になったでもいい、美男や美女に囲まれてもいい。
しかしやはりお墓の中までは持って行けない。

ならば、自身の人生の最期を迎えるそのとき、回りに誰もいないや回りから憎まれてなどよりも、回りにたっくさんの者(もの)が来て惜しまれお見送りをされた事のほうが、”生涯生きてきて最高に良いものを持てた”ことになるのではないでしょうか?
善人になれなくとも良人であれ。



さて、あなた様はどう思いますか?



『人物を創る』
安岡正篤



『人物を修める』
安岡 正篤



先哲が説く指導者の条件 『水雲問答』『熊沢蕃山語録』に学ぶ
安岡 正篤