小林です。

光陰矢の如し。

皆さんも良く知る故事成語ですね。
「こういんやのごとし」、辞典を開くとこう書いてあります。

《月日の経つのはあっという間で二度と戻ってこないから、無為に送るべきではないという戒めを含んでいる。またこれを「光陰流水の如し」「光陰逝水の如し」ともいう。》

「光」は日、「陰」は月の意味で、「光陰」は月日や時間を表すものです。

この言葉は、中国の中唐の詩人、李益(リエキ:748年~827年)漢詩「遊子吟」で【光陰如箭】や、「禅門諸祖偈頌(ゼンモンショソゲショウ)」、蘇軾という北宋の文豪(ソショク:1036年~1101年)の「行香子 秋興詞」、ほか儒学者である朱熹(シュキ:1130年~1200年)南宋の儒学者が記した「偶成」という詩に出てくるとか。

コロナ禍が続く中で、人々はもがき苦しみ、しかしながら律儀な性分でどうにか我慢しているという現状。もはやヘトヘトです。こんな国民性でなければ、まるで「ごっこ」のような右往左往の政治判断に対して怒髪衝天していることでしょう。

(加筆)そして、ワクチンの予防接種はまるで黒ひげ危機一髪ゲームのような副作用の怖さが残る中、国民は接種しなければいけないという恐怖感混じりの現実。何とも悲しさを覚えますが、接種を打ちに行くときの親族たちの見送りはさながら「まるで戦場にいく」有様です。

ただね、いつしか、光陰矢の如しのように、「そんなことがあったね」、と過去を振り返ってこう言える日がきっと来ます。
そう信じて。

我々洪門(ほんめん)もまた、はるか大昔から存在し現存する結社です。そんな中、多くの歴史の興衰や多くの人々、また多くの光陰つまり「時間」の中で生きてきました。

「時間」は静かだが、一分一秒あなたの努力を測っている。

とは、なにもどこかから引っ張ってきた言葉ではなく、実際に過ぎゆく時間を見つめてきた者として実感し、言葉にしたのです。今度からはなにに努力するのか、なにをすべきか、薄々わかっているのではないでしょうか。



あなたは、自分が自分であるために、何を努力してますか?