小林です。
まず、こちらの記事をご覧いただきたい。
ローマ教皇フランシスコは、アフガニスタンへの西側の干渉は外部から民主主義を押し付けようとする試みだとして批判した。
教皇はまことに良識のあるご発言ですね。
「良識」とは、偏らず適切・健全な考え方。またはそういう態度の見識。という意味の言葉ですが、誰からの発言であれ、「良識を伝える」ことは、正しさへの導きであります。
しかし、この「良識」というものは現代社会においてなぜか難しい。
たとえば、これが一番正しいと思うことでも、相手には正しくないと思うことだってありますし、こちらの常識が、相手には常識ではない、と感じることすらありましょう。
それでは一体「良識」とはなにか?
それは、
【人間として考えられる正しい見解】
なのです。
似ている言葉で「常識」という言葉があります。これは、そのセグメントまたはカテゴライズ内で「その時々で正しいとされるルール」なのです。
「良識」と「常識」にはこういう違いがあるのです。
ということで、「常識」と呼ばれるものは変化することがありますが、「良識」は変わってしまうということはまず有り得ません。
この「良識」を養うためには、、、?
日に新た日に日に新た、日に新た。
(ひにあらた、ひにひにあらた、ひにあらた)
中国の古典・「四書五経」の中の『大学』に出てくることばが生きてくる訳です。
【日々に新たなり】
https://kanbun.info/koji/hibiniarata.html
そして、カテゴリー内で民とはかけ離れたところで生きる「常識」を持つ今の政治に苦言を申し上げますと、「日に劣化、日に日に劣化、日に劣化」となるのではないしょうか。