小林です。

政治家と宗教団体との接点でいろんな事が表面化し、民衆はそのおかしさに気付きました。

以前、政(まつりごと)とは如何なるものであるべきかについてお話ししました。

「権力とは、民衆の合意した統治のもとに生まれる委ねられた産物である。ここに民意の反映が無ければ、それは無用の産物にしか成れず。」、なのですね。

そして、「民衆から権力を委ねられた者は、「誠実さ」によって委ねられている。今はこの事をすっかり忘れて「自己保身」ばかりである。これでは国政を担う者に値しない。」(最近の政治について)、と思います。


かつて、孫文先生は「天下為公」を掲げました。すなわち政治とは民衆のためにあるのです。この四字は、礼記(らいき)にあります「大道之行也、天下為公」からであり、(天下)国家は君主の私物ではなく、(公)そこに暮らす全ての人々のものであるべきである。という考え方です。


「政治家は一度やるとやめられない」という言葉があるように、権力とはそれほどの甘汁で美味なのです。だからこそ、担い手の自律自戒清廉潔白が求められるのです。


さて、歴史を振り返ると、世相がおかしな時にやがて「勇者が出てくる」ものですが、日本の勇者は…、残念ながら今のところ見当たらないです。


それでも、今日という一日が始まります。


今はお年寄りが生きにくい世の中であり、若者が夢を持てない世の中であります。これは私たちが望んだものなのでしょうか。


絶対に違うと思います。


一日の始まりは心弾み口遊み、一日の終わりを感謝の気持ちと共に心地よく眠ることです。


そういう国にしようではないか。


あなたはどんな暮らしをしたいのですか?




では、また。





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