小林です。
久しぶりにブログを書きます。
「信じる心」は人間にとって必要不可欠なものです。過去の歴史を振り返っていくと乱世の世が常にあった時代、戦のたびに人間は平穏な暮らしを望み、夢や希望が現実化することを祈ります。「なにかにすがる」とは、このようにそのなかで芽生え、「信じる心」が生まれたのです。
問題は、この「信じる心」が一番操られやすい人間の弱い部分でもあります。「信じる心は強くて弱い」。
不可欠なのに操られやすいとはなんとも滑稽にも思いますが、これを利用して人間が人間を騙していることに人の世とは何とも唖然失笑です。
けれども、「信じる心」は洪門(ほんめん)という結社の中にも存在していて、それが諸々の活動の原動力となっております。
では、「お宅たち(洪門)も人間の「信じる心」を利用しているのか?」、と疑われましょうが、ここは大きな声で否定ができます。
ここの(洪門の)世界は、道教、仏教、儒教を組織建築の基幹とし、これを「三教合一」といいます。さらに現代では「五教合一」に昇華され、さらに未来像を描き「万教合一」へと邁進しています。どんな宗派思想もおよそ最終目的地は、「安寧の世の中」です。ですので、宗派の手法は違っていたとしても到達は「最初に信じる心が生まれたとき」と同じ結論なのです。
そして、洪門(ほんめん)が言う「天」は、特定の神でもなく、固有の天子でもありません。地球という生命天体が自分は生きているものだと認識したその瞬間、洪門において「天」とは「自然」なのです。これは「世界大同」といいます。
閑話休題。
女史のご本を拝読させて頂きました。
「小川さゆり、宗教2世」です。
三回読み返しました。女史の半生がそこに書かれており、わたくしは読んでいくうちに心が痛くて痛くてとても悲しくて、こんなもの(カルト教)に幸せを奪われたらいけない!と強く思いました。
「死ぬまで統一教会からは離れない」
女史が心の拠り所にしていたものが、やがて退会を決め、日本外国特派員協会の記者会見では悲しみと苦しみ、そして悔しさが露わになり、一般社会に暗雲の心をさらけ出しました。これは常人ではなかなか出来ないものすごい「必死の覚悟」だと思います。
「この苦しみをもう繰り返さないために」
この言葉の重みは計り知れないもので、「遺書」では清き心を持った女史の真の人間性が見てとれました。そして今では「ふ、ふ、ふ」もやりそうでやらずに出来たことはわたくしは思わず「フッ」と微笑ながら小さな喜びを感じましたね。
そして以前、一度だけ養子縁組された妹さんと会ったことが書いてありましたが、養父母のところで幸せになっていて統一教会の熱心な信者になっていたら、私を見て複雑な思いを抱えているのではないか、と心配するその善良な心に女史が誠の幸せになることをわたくしは願っております。
「恨むのではなく、許したい」
正は誤であり、誤は正であります。しかしこれは別々のものではありません。「正のなかに誤あり、誤のなかに正あり」。妹さんへの思いがそうです。そして、正と誤を決めるのは「あなた」なのです。女史のような想いをされている全ての宗教2世に伝えたいです。「他人の頭で自分の人生を考えるな、自分の頭で考え未来を切り拓きなさい。」と。
「神の子」はこの世界に存在しません。一生物が勝手に呼んでいるだけであって、まさに身の程知らずの神(自然)への冒涜です。「なにかにすがる」ことに依存をしたい人は依存すれば良いです。しかし、もしそこから目醒めたときには、過ぎ去ったことに真摯に向き合ってこそ新しい人生を迎えることができます。これから着実に成長していくためには、過去の自分と和解(決別)し、未来の自分と創造していくことです。
では、またいずれ。
女史に幸あれ。