【備忘録へ】
文中間違った認識があるが、しかしこの内容は備忘録へ入れておこう。
「華僑」
一般論説より
http://eletec.web.fc2.com/1.html
(文転載)
現状の認識
現在、既に東南アジアは華人経済圏を形成している。それに台湾、香港、シンガポールを含めるとすれば、中国経済は華人・客家の連携を軸として世界最強レベルに発展する。
中華人民共和国内部にはかっての周恩来、鄭小平を筆頭にした中央の幹部をはじめ、広東を中心とする華南の葉剣英人脈など地方にも強固な客家のネットワークが存在し、相互に連携している。
シンガポールは首相のリー・クワンユー(李光耀)を中心に客家の華人が牛耳る事実上の客家国家である。人口の75%を華僑、華人が占め、その5%の客家が政治、経済の実験を握っている。
タイでは500万の華僑、華人のうち客家は一割に過ぎなかったが、1905年代に当時のタイ国王ラーマ五世が発想した南線鉄道の建設に華人の有力者が客家を中心とする中国人労務者を組織して見事に鉄道を開通させ、さらに、密林を切り開き、ゴム園、錫鉱山を開いて事業を拡張した。その中心となったのが現在のタイ南部の商業都市ハートヤイ市である。以来、中央、地方で重きをなしている成功者が多く、経済上の客家のネットワークを形成している。
ビルマでは、華僑、華人15万の三分の二が客家で、商業、流通、金融に進出し、またタイ国境地帯の少数民族居住地にもよく浸透している。彼らは国境を超えてタイとも結び付き、このビルマ客家ネットワークは強固なものがある。
インドネシアは客家の天下である。400万の華僑、華人のうち客家は150万を占め、首都ジャカルタでは大多数が客家である。ここでも経済上で客家のネットワークの占める比率は非常に大きい。
サバ、サラクワ、ブルネイも七割が客家、客家語が半公用語にすらなっている地域もある。
客家(ハッカ)
客家とは中国南部、主に広東、江西、福建の各省に分布する漢族の一種族である。その起源をたどれば、三世紀から四世紀にかけて西北から侵入した異民族に漢族国家、晋が滅ばされ、南方に流亡してきた漢族を祖先にするものと言われる。中国南部各地に定住し、自らの習俗、言語を捨てず、特殊な集団を維持してきたのである。血統を重んじる中国人の中でもひときわ内部団結が固く、正統民族としての誇りを持ち、民族意識が強烈である。
「幣」(パン)
幣とは「助ける」の意で、相互扶助を誓い合う組織として発生した。中国人社会は元来、ギルド性を古くから備え、同族、同姓、同郷、同業といった契機を結集点にしてギルド的社会を営み、相互扶助を基礎にした社会関係を形成していく傾向が強い。古来、さまざまな形の幣が生まれた。「洪門」もその一つとみられるが、社会の裏面で重要な役割を果たす一種の秘密結社といへよう。
「洪門」(ホンメン)
洪門とは中国南部と南海の華僑、華人の間に広く存在する秘密結社で、その起源は不確かであるが、明の鄭成功が17世紀に創設したという説もあるが、「反清復明」を再興しようという政治的秘密結社に源流を持つのもであることに間違いない。これが18世紀を通じて次第に政治性を薄めて一般的な幣と同化していった。
「洪」が「紅」に音が通じることから「紅幣」(ホンパン)を名乗るものがあり、「洪」のサンズイ三をとって「三合会」と名乗るものもあり、会員全てが兄弟であるとして相互に「可老」(クーラオ)と呼び合うことから「可老会」と名乗るものもあり、それぞれ地域により多様な性格を持っていたわけである。洪門には合法面の「白道」と非合法面の「黒道」(いわゆる殺し屋)がある。洪門の黒道のセンターは最近まで香港にあった。鄧小平がかって言った言葉に「白でも黒でも鼠を取るのが良い猫だ」の意味は合法、非合法を問わず金もうけは良いことであるとの資本主義社会の表裏の実態を衝いた警句であった。
この系列とは別の青幣(チンパン)というのがあり、これは明朝末期の清朝初期に羅教から分派して秘密宗教化していった集団で、清朝末期には宗教性、政治性も薄れ、マフィア化の度合いが強くなった。上海を中心とし流民層を吸収し、裏経済を支配していた。
日本の士官学校を卒業した蒋介石は1911年の辛亥革命に参加後、不満で軍を辞し、長年不遇をかこっていたが、1927年、青幣の協力を得て上海の共産党組織を壊滅させた。そして抗日戦で青幣をテロ組織として駆使した。「藍衣社」などの蒋介石の特務機関が代表的な組織で、上海のフランス租界で日本の特務機関とすさまじい死闘を展開したのであった。
中国共産党の紅軍の最高の指導者朱徳や劉伯承などは客家、洪門可老会の会員で、共産軍が指導した農民反乱軍の重要な一翼だったのである。
日中戦争(支那事変)の時、日本軍は洪門の抗日運動に非常に悩まされた。各地の洪門は抗日の地下組織活動を展開した。日本軍は洪門工作の必要を痛感し、ついに特務機関が頭山満らの手を借りて、洪門の頭目を帰順させることに成功した。勿論、国民党側も洪門をおおいに利用した。それは蒋介石自身が上海の青幣の会員だったからである。
太平洋戦争時のマレー半島における抗日戦もその実態は「洪門」が中心であった。華僑抗日軍の中核もそうであった。即ち、ある共通の目的がある場合、民族主義、共産主義といった立場以前に洪門の義の誓いのほうが優先する。立場は違っても抗日で連携できるというわけである。洪門には数人の洪門大山王がいる。シンガポールの攻防戦やマレー半島で華僑抗日軍の中心として活躍し、その後タイに移動してその北部地区で勢力を振るった謝俊耀もその一員である。
今、中国は
前後三回の政治的失脚を味わった走資派の鄧小平を失脚時代に庇護したのは客家の葉剣英である。実際、鄧小平は客家のネットワークに守られて失脚時代をしのぎ、復権後、毛沢東王朝を引き継ぎ、「中国的特徴を持った社会主義」を提起したたが、その実態は「中国的特徴を持った資本主義」または「中国的特徴を持った経済開発」である。そして欧米とは違う型の資本主義、開発路線を進もうというのである。この改革開放により毛沢東の赤色王朝の実質的な崩壊が始まった。(毛沢東は秦の始皇帝に似ている。一代限りだったことが)。
鄧小平は香港、マカオの返還と台湾にからんで「一国二制度」を提起したが、香港、マカオでは人民中国化でなくその逆が行なわれている。その証拠に沿岸14都市の対外開放の措置が採られ、経済特別区域を内向型から外向型へとの指示がだされている。
今後の中国は北京主導でなく華南の主導で一路資本主義化が進むであろう。そして華南経済は東南アジア、さらには全世界の華僑経済と結び付いて國際化する。客家のネットワークがその推進役を演じる。華南経済は中国の地方経済ではなく、アジア華人経済の重要な一部になり、北京に対しては次第に遠心的に動いて行くだろう。そして華南経済を通してアジアの華人経済が中国内部に還流していけば中国全体がそれに飲み込まれていくことになる。
実際、近年、華南経済に華僑の投資が急増し、台湾、香港、シンガポールからの投資が年々増大している。特に、決定的なのは香港と広東省との関係で、香港の対中投資は一万七千件のプロジェクト、二万五千の工場におよぶ(1998年)といわれるが、その大半は広東省に集中している。孫文を生み、反中央に気風の高い広東省との交流が香港と広東省を含む東南アジアの華僑経済圏の中核としての自立を促す可能性は少なくない。
このことは返還後の香港の動向とは無関係ではない。即ち、返還後の香港は"中国の正体を"暴くショーウインドウで、「一国二制度の下、50年間は現状維持」を公言した舌の根が乾かないうちに、早くも言論の締め付けが進行するようでは北京政府に対する住民の離心は加速するばかりであろう。金融活動は言論の自由のもとはじめて正しい情報活動が成り立つのであって、それが阻害されればかっての世界の金融センターとしての香港の隆盛は沈んでしまうことになる。
既に、広東、福建、台湾、香港、マカオを合わせた広義の意味の「華南華人経済圏」のGPN総額は中国全体のGPN3000億ドルを凌駕する規模にまでになった。経済的にはもう一つの中国が存在しているといっても良い。
中国は大型プロジェクトを組む場合、外貨不足を補うためてプロジェクト債を発行するしかなく、それは元建で、弱い通貨の元はなかなか売れない。それを裏のルートで捌くのが客家、洪門の黒部分である。代金の代わりに支払われる国債(元)の販売も裏経済を通して外貨に替えてやる。勿論、手数料の収入がある。
広東省の葉剣英一派、福建省の陳栄春、鄭蓬時、インドネシアのロックへラーと呼ばれる林紹良は皆客家である。シンガポールの李光耀の片腕の呉慶瑞は1985年に鄭小平により中国沿海経済開発顧問に任命されいる。その後の開放政策は主に彼の発案と言われる。まさに華南経済はアジア華人経済の一部なのである。かって周恩来がキッシンジャーの肩を抱いて、耳元で「東南アジアはもう中国のものなんですよ」と囁いたと言う話もまんざら嘘ではなさそうである。
中国は日本に比較して遥かに國際化している。華人、華僑、そしてその故郷である華南をみなければだめである。日本としては、北京ばかりを見てそれが中国だと思い込むと命取りになる。
今後ともマークする人物は客家ではないが客家のネットワークに乗っている鞘紫陽であって、胡耀邦ではない。客家の人脈の人物のその言葉でなしに行動に注目すれば中国の動きがわかる。例えば、鄭家華は国務委員の中でも最も広範なネットワークを持っている客家だった。1990年の第二次天安門事件で失脚した鞘紫陽を広州軍区にかくまうのに助力した。
鄧小平後の中国は伝統的王朝の支配方式にもどろうとしているのだろうか。中国の伝統的王朝は全体主義的国家に似ていると誤解されているようだが、まるで違うもので、皇帝の権力は全体主義国家のように社会生活の隅々までに降りていったりせづに、皇帝は税金をとり、富を集め、軍隊を養えばいいので、あとは民衆自体が共同体を運営して勝手にやればよかったのである。これば儒家の言う「徳治」である。そしてそれが現在のような「人治」に歪曲されてきた。
中国の将来の在り方の一つは伝統的な共同体を維持、強化し、そしてその連合、即ち、自治共和国連邦の姿ではなかろうか。民族共同体がそれぞれ自治共和国を作り連邦を構成するわけである。
そのために先ず華南、東南アジアでの基盤を確固たるものとし、それを普遍しつつ拡大強化していくのである。
しかしながら、ここに大きな問題が介在する。それは本来一枚岩を誇る客家の間で、思想や人生哲学の面での違いが次第に顕著に現れてきて、その大同団結の行方にが必ずしも容易ではないことが判明してきたことである。
例えば、台湾の李登輝前総統は客家の出身であるが、彼は「中華思想」や「家父長制度」を嫌い、身内の密室政治を生み出す「人治」を排し、欧米並の民主主義政治社会を構築してきた。これに対して同じ客家出身のシンガポールの上級相リー・クワンユーの政治信念は甚だ異なる。彼は欧米並の民主主義はアジアには合わないと公言している。そして信念に基づくとはいへ、政治的自由や言論の自由の制限を含む厳しい統制社会を構築してきた。極めて意思的に。さらに、マレーシアを始め東南アジアで経済の実験を担う客家の経済人の多くはなおも血族優先の「家父長制度」を踏襲し、そのため大企業への発展、近代化に不可欠な外部の血の導入を阻んでいる。
東南アジアでの客家が中心となった経済面での華人協同体を充実、発展させるには基本的な意思の統一が不可欠であろう。
問題点
華南および東南アジアにおける華僑・華人の経済的な成功は自由経済の競争原理のもとで始めてなりたったことは言うまでもない。北京政府があくまで共産党一党独裁の政治体制を維持する場合、経済の真の発展に不可欠な自由な発想と行動、制約のない情報、言論活動が大幅な制約を受け、北京政府は共産党一党独裁と自由貿易経済の進展の間で大きな矛盾撞着に対面することになる。
経済の真の発展のためには自由主義を基盤とする資本主義の経済原理を採用するのが得策であることをと十分に承知しておりながら、あえて社会主義体制を堅持しようとするのはなぜか、それはかってのソ連や現在の中国、北朝鮮のように為政者とその周辺の高級官僚等の集団が享受している数々の考えられないような特権を喪失するのを恐れると共に、在任中の不正(中国では特に腐敗、汚職、背任行為等)の追訴と名誉の喪失を恐れるからに外ならない。
ロシアにおいてもエリツインからプーチンへの政権の委譲で、エリツインが最も関心を示したのは在任中の汚職、背任を含む不正事に関する訴追の却下と、別荘、公用車、警備員の配置等を含む前大統領としての特権を継続することが前提であったと聞く。
中国では最近特に、言論の統制が厳しくなり、さらには国有企業ばかりでなく民間企業の中にも共産党指導部の配置を指示する等、締めつけの強化の気配がひしひしと感じられる。なぜなのか、それは恐らくは香港を中心とする華南地方の経済の活性化に伴う自由思想が次第に奥地にも波及し、内モンゴル、チベット、西域シンキョウ自治区における分離・独立の動きを助長することを恐れることと無縁ではなかろう。
完
参考文献:
「中国随想」 陳舜臣
「中国の希望と絶望」 林青悟
「中国の社会構造-近代化による変貌」 中野謙二
「中国を考える」 司馬遼太郎
「中国人および日本人のものさし」 村山 争
「客家」 高木桂蔵
「華僑、商才民族の素顔と実力」日本経済新聞社
「華僑」 斯波義信
「中国の秘密宗教と秘密結社」 左久梓
「中国革命を駆け抜けたアウトローたち」 福本勝久
「中国近代史」 中嶋嶺雄
「中華民国」 横山宏章
「大アジア主義と中国」 鞘軍
洪門天地會青蓮堂日本總會
Facebookページも宣伝
文中間違った認識があるが、しかしこの内容は備忘録へ入れておこう。
「華僑」
一般論説より
http://eletec.web.fc2.com/1.html
(文転載)
現状の認識
現在、既に東南アジアは華人経済圏を形成している。それに台湾、香港、シンガポールを含めるとすれば、中国経済は華人・客家の連携を軸として世界最強レベルに発展する。
中華人民共和国内部にはかっての周恩来、鄭小平を筆頭にした中央の幹部をはじめ、広東を中心とする華南の葉剣英人脈など地方にも強固な客家のネットワークが存在し、相互に連携している。
シンガポールは首相のリー・クワンユー(李光耀)を中心に客家の華人が牛耳る事実上の客家国家である。人口の75%を華僑、華人が占め、その5%の客家が政治、経済の実験を握っている。
タイでは500万の華僑、華人のうち客家は一割に過ぎなかったが、1905年代に当時のタイ国王ラーマ五世が発想した南線鉄道の建設に華人の有力者が客家を中心とする中国人労務者を組織して見事に鉄道を開通させ、さらに、密林を切り開き、ゴム園、錫鉱山を開いて事業を拡張した。その中心となったのが現在のタイ南部の商業都市ハートヤイ市である。以来、中央、地方で重きをなしている成功者が多く、経済上の客家のネットワークを形成している。
ビルマでは、華僑、華人15万の三分の二が客家で、商業、流通、金融に進出し、またタイ国境地帯の少数民族居住地にもよく浸透している。彼らは国境を超えてタイとも結び付き、このビルマ客家ネットワークは強固なものがある。
インドネシアは客家の天下である。400万の華僑、華人のうち客家は150万を占め、首都ジャカルタでは大多数が客家である。ここでも経済上で客家のネットワークの占める比率は非常に大きい。
サバ、サラクワ、ブルネイも七割が客家、客家語が半公用語にすらなっている地域もある。
客家(ハッカ)
客家とは中国南部、主に広東、江西、福建の各省に分布する漢族の一種族である。その起源をたどれば、三世紀から四世紀にかけて西北から侵入した異民族に漢族国家、晋が滅ばされ、南方に流亡してきた漢族を祖先にするものと言われる。中国南部各地に定住し、自らの習俗、言語を捨てず、特殊な集団を維持してきたのである。血統を重んじる中国人の中でもひときわ内部団結が固く、正統民族としての誇りを持ち、民族意識が強烈である。
「幣」(パン)
幣とは「助ける」の意で、相互扶助を誓い合う組織として発生した。中国人社会は元来、ギルド性を古くから備え、同族、同姓、同郷、同業といった契機を結集点にしてギルド的社会を営み、相互扶助を基礎にした社会関係を形成していく傾向が強い。古来、さまざまな形の幣が生まれた。「洪門」もその一つとみられるが、社会の裏面で重要な役割を果たす一種の秘密結社といへよう。
「洪門」(ホンメン)
洪門とは中国南部と南海の華僑、華人の間に広く存在する秘密結社で、その起源は不確かであるが、明の鄭成功が17世紀に創設したという説もあるが、「反清復明」を再興しようという政治的秘密結社に源流を持つのもであることに間違いない。これが18世紀を通じて次第に政治性を薄めて一般的な幣と同化していった。
「洪」が「紅」に音が通じることから「紅幣」(ホンパン)を名乗るものがあり、「洪」のサンズイ三をとって「三合会」と名乗るものもあり、会員全てが兄弟であるとして相互に「可老」(クーラオ)と呼び合うことから「可老会」と名乗るものもあり、それぞれ地域により多様な性格を持っていたわけである。洪門には合法面の「白道」と非合法面の「黒道」(いわゆる殺し屋)がある。洪門の黒道のセンターは最近まで香港にあった。鄧小平がかって言った言葉に「白でも黒でも鼠を取るのが良い猫だ」の意味は合法、非合法を問わず金もうけは良いことであるとの資本主義社会の表裏の実態を衝いた警句であった。
この系列とは別の青幣(チンパン)というのがあり、これは明朝末期の清朝初期に羅教から分派して秘密宗教化していった集団で、清朝末期には宗教性、政治性も薄れ、マフィア化の度合いが強くなった。上海を中心とし流民層を吸収し、裏経済を支配していた。
日本の士官学校を卒業した蒋介石は1911年の辛亥革命に参加後、不満で軍を辞し、長年不遇をかこっていたが、1927年、青幣の協力を得て上海の共産党組織を壊滅させた。そして抗日戦で青幣をテロ組織として駆使した。「藍衣社」などの蒋介石の特務機関が代表的な組織で、上海のフランス租界で日本の特務機関とすさまじい死闘を展開したのであった。
中国共産党の紅軍の最高の指導者朱徳や劉伯承などは客家、洪門可老会の会員で、共産軍が指導した農民反乱軍の重要な一翼だったのである。
日中戦争(支那事変)の時、日本軍は洪門の抗日運動に非常に悩まされた。各地の洪門は抗日の地下組織活動を展開した。日本軍は洪門工作の必要を痛感し、ついに特務機関が頭山満らの手を借りて、洪門の頭目を帰順させることに成功した。勿論、国民党側も洪門をおおいに利用した。それは蒋介石自身が上海の青幣の会員だったからである。
太平洋戦争時のマレー半島における抗日戦もその実態は「洪門」が中心であった。華僑抗日軍の中核もそうであった。即ち、ある共通の目的がある場合、民族主義、共産主義といった立場以前に洪門の義の誓いのほうが優先する。立場は違っても抗日で連携できるというわけである。洪門には数人の洪門大山王がいる。シンガポールの攻防戦やマレー半島で華僑抗日軍の中心として活躍し、その後タイに移動してその北部地区で勢力を振るった謝俊耀もその一員である。
今、中国は
前後三回の政治的失脚を味わった走資派の鄧小平を失脚時代に庇護したのは客家の葉剣英である。実際、鄧小平は客家のネットワークに守られて失脚時代をしのぎ、復権後、毛沢東王朝を引き継ぎ、「中国的特徴を持った社会主義」を提起したたが、その実態は「中国的特徴を持った資本主義」または「中国的特徴を持った経済開発」である。そして欧米とは違う型の資本主義、開発路線を進もうというのである。この改革開放により毛沢東の赤色王朝の実質的な崩壊が始まった。(毛沢東は秦の始皇帝に似ている。一代限りだったことが)。
鄧小平は香港、マカオの返還と台湾にからんで「一国二制度」を提起したが、香港、マカオでは人民中国化でなくその逆が行なわれている。その証拠に沿岸14都市の対外開放の措置が採られ、経済特別区域を内向型から外向型へとの指示がだされている。
今後の中国は北京主導でなく華南の主導で一路資本主義化が進むであろう。そして華南経済は東南アジア、さらには全世界の華僑経済と結び付いて國際化する。客家のネットワークがその推進役を演じる。華南経済は中国の地方経済ではなく、アジア華人経済の重要な一部になり、北京に対しては次第に遠心的に動いて行くだろう。そして華南経済を通してアジアの華人経済が中国内部に還流していけば中国全体がそれに飲み込まれていくことになる。
実際、近年、華南経済に華僑の投資が急増し、台湾、香港、シンガポールからの投資が年々増大している。特に、決定的なのは香港と広東省との関係で、香港の対中投資は一万七千件のプロジェクト、二万五千の工場におよぶ(1998年)といわれるが、その大半は広東省に集中している。孫文を生み、反中央に気風の高い広東省との交流が香港と広東省を含む東南アジアの華僑経済圏の中核としての自立を促す可能性は少なくない。
このことは返還後の香港の動向とは無関係ではない。即ち、返還後の香港は"中国の正体を"暴くショーウインドウで、「一国二制度の下、50年間は現状維持」を公言した舌の根が乾かないうちに、早くも言論の締め付けが進行するようでは北京政府に対する住民の離心は加速するばかりであろう。金融活動は言論の自由のもとはじめて正しい情報活動が成り立つのであって、それが阻害されればかっての世界の金融センターとしての香港の隆盛は沈んでしまうことになる。
既に、広東、福建、台湾、香港、マカオを合わせた広義の意味の「華南華人経済圏」のGPN総額は中国全体のGPN3000億ドルを凌駕する規模にまでになった。経済的にはもう一つの中国が存在しているといっても良い。
中国は大型プロジェクトを組む場合、外貨不足を補うためてプロジェクト債を発行するしかなく、それは元建で、弱い通貨の元はなかなか売れない。それを裏のルートで捌くのが客家、洪門の黒部分である。代金の代わりに支払われる国債(元)の販売も裏経済を通して外貨に替えてやる。勿論、手数料の収入がある。
広東省の葉剣英一派、福建省の陳栄春、鄭蓬時、インドネシアのロックへラーと呼ばれる林紹良は皆客家である。シンガポールの李光耀の片腕の呉慶瑞は1985年に鄭小平により中国沿海経済開発顧問に任命されいる。その後の開放政策は主に彼の発案と言われる。まさに華南経済はアジア華人経済の一部なのである。かって周恩来がキッシンジャーの肩を抱いて、耳元で「東南アジアはもう中国のものなんですよ」と囁いたと言う話もまんざら嘘ではなさそうである。
中国は日本に比較して遥かに國際化している。華人、華僑、そしてその故郷である華南をみなければだめである。日本としては、北京ばかりを見てそれが中国だと思い込むと命取りになる。
今後ともマークする人物は客家ではないが客家のネットワークに乗っている鞘紫陽であって、胡耀邦ではない。客家の人脈の人物のその言葉でなしに行動に注目すれば中国の動きがわかる。例えば、鄭家華は国務委員の中でも最も広範なネットワークを持っている客家だった。1990年の第二次天安門事件で失脚した鞘紫陽を広州軍区にかくまうのに助力した。
鄧小平後の中国は伝統的王朝の支配方式にもどろうとしているのだろうか。中国の伝統的王朝は全体主義的国家に似ていると誤解されているようだが、まるで違うもので、皇帝の権力は全体主義国家のように社会生活の隅々までに降りていったりせづに、皇帝は税金をとり、富を集め、軍隊を養えばいいので、あとは民衆自体が共同体を運営して勝手にやればよかったのである。これば儒家の言う「徳治」である。そしてそれが現在のような「人治」に歪曲されてきた。
中国の将来の在り方の一つは伝統的な共同体を維持、強化し、そしてその連合、即ち、自治共和国連邦の姿ではなかろうか。民族共同体がそれぞれ自治共和国を作り連邦を構成するわけである。
そのために先ず華南、東南アジアでの基盤を確固たるものとし、それを普遍しつつ拡大強化していくのである。
しかしながら、ここに大きな問題が介在する。それは本来一枚岩を誇る客家の間で、思想や人生哲学の面での違いが次第に顕著に現れてきて、その大同団結の行方にが必ずしも容易ではないことが判明してきたことである。
例えば、台湾の李登輝前総統は客家の出身であるが、彼は「中華思想」や「家父長制度」を嫌い、身内の密室政治を生み出す「人治」を排し、欧米並の民主主義政治社会を構築してきた。これに対して同じ客家出身のシンガポールの上級相リー・クワンユーの政治信念は甚だ異なる。彼は欧米並の民主主義はアジアには合わないと公言している。そして信念に基づくとはいへ、政治的自由や言論の自由の制限を含む厳しい統制社会を構築してきた。極めて意思的に。さらに、マレーシアを始め東南アジアで経済の実験を担う客家の経済人の多くはなおも血族優先の「家父長制度」を踏襲し、そのため大企業への発展、近代化に不可欠な外部の血の導入を阻んでいる。
東南アジアでの客家が中心となった経済面での華人協同体を充実、発展させるには基本的な意思の統一が不可欠であろう。
問題点
華南および東南アジアにおける華僑・華人の経済的な成功は自由経済の競争原理のもとで始めてなりたったことは言うまでもない。北京政府があくまで共産党一党独裁の政治体制を維持する場合、経済の真の発展に不可欠な自由な発想と行動、制約のない情報、言論活動が大幅な制約を受け、北京政府は共産党一党独裁と自由貿易経済の進展の間で大きな矛盾撞着に対面することになる。
経済の真の発展のためには自由主義を基盤とする資本主義の経済原理を採用するのが得策であることをと十分に承知しておりながら、あえて社会主義体制を堅持しようとするのはなぜか、それはかってのソ連や現在の中国、北朝鮮のように為政者とその周辺の高級官僚等の集団が享受している数々の考えられないような特権を喪失するのを恐れると共に、在任中の不正(中国では特に腐敗、汚職、背任行為等)の追訴と名誉の喪失を恐れるからに外ならない。
ロシアにおいてもエリツインからプーチンへの政権の委譲で、エリツインが最も関心を示したのは在任中の汚職、背任を含む不正事に関する訴追の却下と、別荘、公用車、警備員の配置等を含む前大統領としての特権を継続することが前提であったと聞く。
中国では最近特に、言論の統制が厳しくなり、さらには国有企業ばかりでなく民間企業の中にも共産党指導部の配置を指示する等、締めつけの強化の気配がひしひしと感じられる。なぜなのか、それは恐らくは香港を中心とする華南地方の経済の活性化に伴う自由思想が次第に奥地にも波及し、内モンゴル、チベット、西域シンキョウ自治区における分離・独立の動きを助長することを恐れることと無縁ではなかろう。
完
参考文献:
「中国随想」 陳舜臣
「中国の希望と絶望」 林青悟
「中国の社会構造-近代化による変貌」 中野謙二
「中国を考える」 司馬遼太郎
「中国人および日本人のものさし」 村山 争
「客家」 高木桂蔵
「華僑、商才民族の素顔と実力」日本経済新聞社
「華僑」 斯波義信
「中国の秘密宗教と秘密結社」 左久梓
「中国革命を駆け抜けたアウトローたち」 福本勝久
「中国近代史」 中嶋嶺雄
「中華民国」 横山宏章
「大アジア主義と中国」 鞘軍
洪門天地會青蓮堂日本總會
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