小林です。
今日は老子知人者智、自知者明(人を知る者は智なり。自らを知る者は明なり)」について触れたいと思います。

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この言葉は最近注目をされていますね。
参考記事

これは「老子・辯徳第三十三」からの引用でして、意味は「人を知るのは智者であるが、自らを知る者はさらに明晰な智慧を持つ」になります。

老子とは、中国春秋戦国時代のにおける哲学者であり、諸子百家のうちの道家は彼の思想を基礎とするものです。また、後に生まれた道教は彼を始祖にあたり、「老子」の呼び名は「偉大な人物」を意味する尊称と考えられています。

人は他人の評価は簡単に出来るものです。視覚や聴覚を用いて相手を判断し(メラビアンの法則)数分で以降のお付き合いに影響したりするという。また女性は、さらに臭覚を用いて男性の好みを選んでいるともいい、その判断スピードは何と0.5秒とも言われています。

自分自身の事はわかっているようでわかっていないのが人間です。

這い上がりたいのなら、
まず自分を知れ!
光を浴びたいのなら。
まず自分を信じろ!

わたくし達洪門(ほんめん)には、洪學(ほんがく)という学習が存在します。三教合一の観点から『儒教』『道教』『仏教』を学びます。

ここには、各教の思想を学び、人間学、心理学、生物論、道徳論、哲学、人間学、因果論、煩悩、生命科学、自然、陰陽思想、朱子学、陽明学、太極、五行思想、神仙思想などなど多岐に渡る学習を続けていきます。それはおよそ生涯にわたって学んでいく事になりましょう。

人とはなにか?を問う事は、徳を知ることにその真髄あり。

現代の人はこの学びに初期段階からかなりの時間がかかりますね。誤った自己の解釈により己れが一番、利益が一番、ありのままの自分とは決して利己に意がある訳ではないのです。




以下は老子の名言です。

大道廃れて仁義あり

仁義などという人為的な道徳が唱えられるようになったのは、人々が自然の法則に無神経になったからだ。耳ざわりの良い文句に惑わされず、物事の本質に立ち返れ。


多聞なればしばしば窮す。中を守るに若かず。

牝(ひん)は常に静をもって牡(ぼ)に勝つ。

人に与えて、己いよいよ多し。

善く戦う者は怒らず。

知りて知らずとするは尚なり。

人に授けるに魚を以ってするは、漁を以ってするに如かず。

君子は盛徳ありて容貌愚なるが如し。

身のうちに迸るような才能を秘めていながら、日の目を見る事のない人間には共通点がある。「出しゃばり過ぎる」ということだ。真に有能な人間ほど<慎み深く、一見愚か者かと思う顔つきをしている。


終わりを慎むこと始めの如くなれば、即ち敗事なし。

爪先立つ者は立たず、自ら矜(ほこ)る者は長からず。

天道は親なし、つねに善人に与す。

その光を和らげ、その塵に同じうす。

聖人は無為の事におり、不言の教えを行う。

軽諾は必ず信をすくなくす。

怨みに報いるに徳を以てす。

善くする者は果たして已む。以て強を取ることなし。