小林です。

さて、わたくしども洪門(ほんめん)天地会には、古より多くの優秀なる人材が、その門戸を叩き集まってまいります。

一般社会よりこの世界へと足を踏み入れる人々は、常人とは一線を画した感覚を持ち合わせていると申せましょう。決して奇矯なる「変人」というわけではございませんが、いわば「鶏群の一鶴(けいぐんのいっかく)」のごとく、ひときわ秀でた才能や特質を秘めております。かかる人物は、往々にして驕り高ぶることはなく、謙虚さを兼ね備えつつも、他者が容易には追いつけぬほどの卓越した能力や技能を有するものでございます。

とはいえ、そのような類稀なる人々が数多く集うれば、やがてはとてつもない頭脳集団を形成することになります。しかしながら、そこに一鶴が群を成せば、やがては集団の中で能力の「甲乙」が明確に表れて参りましょう。その段階に至りて、さらに「眼光紙背に徹す」(がんこうしはいにてっす)るがごとき人物が、その中から再び抜きん出て、秀でるものなのでございます。

つまり、「上には上がいる」という、厳然たる事実を示すものであります。

しかしながら、洪門の基準値に満たぬ人物も、中には散見されます。「勘違い鶏(けい)」とでも申しましょうか、稀にそのような者が紛れ込んでくることもございます。しかし彼らは、元よりその能力が見せかけのものであるが故、自然淘汰の理により自ずと脱落し、元の世界へと帰っていく運命にございます。

これを「凡鶏回家(ぼんけいかいか)」と称します。

では、かかる「凡人」と呼ばれる人々は、決して這い上がることは叶わぬのでしょうか。

否、決してそのようなことはございません。

ただひたすらに努力を重ねれば、凡人もまた、真の「天才」へと成り得るものと、わたくしは確信しております。

先日、たまたまある興味深いドラマを拝見し、その内容を本会(ほんかい)の理念と照らし合わせてみた次第でございます。


参考
「天才とは努力をする凡才のことである」
「鶏群の一鶴」
「眼光紙背に徹す」



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